鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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多な要素がところ狭しと同居しながらも,詩的で、どこか希望へと向かわせる明るさと透明感がある。これに対し,画面手前(下方)の中央部には寄り添う男女が向かい側に小さく描かれ,ランプが上に置かれているだけの閑散としたテーブルが大きく占め,その背後には空襲で焦土と化した故郷福井の町が拡がっており,描写対象も色彩も限られた寂しく暗い画面となっている。荒れ果てた風景の中に足場を置きながら,上方に愛する家族や健康的な女性美,西欧風の建造物といった理想的なものを配して不思議な世界に誘い込むその画面は,三上生来のハイカラな晴好,理知的かつ清澄な感覚に支えられている。有機的で、バイオモーフイツクな形態,はためく布のモチーフ,右中央のギザギザの刃をつけた朱色の円内の眼のような形,そして卓上のランプ。これらの要素は三上が心酔していたピカソの〈ゲルニカ>(1937年)や1944年の〈納骨堂〉(注6)との関連を想起せずにはいられない。仏画由来の伝統的モチーフと西洋的モチーフ,写実的な人物描写と抽象的な形態など一見相反するような多様な要素が共存し,三上作品の中でもひときわ異彩を放っている。特に中央の円内の人体は,1966年の「灸点万華鏡jシリーズ頃から登場する幾何学的な円の組み合わせによる人体に酷似しており,〈戦災風物誌>(1949年)や〈戦災地と雲の重匪>(1949年)などこの作品の習作的な作品にも見当たらないことから,後年加筆された可能性があるとの指摘もなされてきた(注7)。引伸ばされてあるため細部まで明瞭で、はないが,このたび不動氏の手元にあった1950年のパンリアル展会場で撮られた白黒写真を実見することにより,この円形が既に存在し,他の部分も現状通りで後年の加筆はなかったことを改めて確認した。結核という病と日々の生活をかかえながら新作の制作に向かっていた三上に過去の,しかも他に比して明るいこの作品に加筆を行う余裕があり得たとは考え難いが,この時期の他の作品に幾何学的な人体の類例が見当たらないのも不思議で、ある。また西洋の影響の濃い,油彩画的作品が多く作られていた1950年前後にあって,瑞雲をたなびかせるという仏画風のモチーフの意図的な挿入も他に類例を見ることがない。ちょうど前年の1949年4月の美術文化の作品研究会で,洋画家小牧源太郎(19061989)がパンリアルの作品を見て,前衛的に見える要素も洋画であれば何でもないことであるとした上で,日本画の顔料の特徴をもっと研究してはどうかと助言しており(注8),同じ頃に先述した福沢一郎の論評が出ていることから,あるいは洋画の追随でない独創性をもった新しい表現の創造を企図してこうした仏画の古典的表現の参照へと向かったのかもしれない。まさに<F市長茶羅〉は,実験精神旺盛な若きパンリア145

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