は大小様々な円が描かれ,あるいは押印され,時計のような矢印や三日月など細い線描によるメカニカルな形,経絡図風の人体,有機的な形態,雛々の鳥の子紙等がうごめきながら宇宙を形成している。そしてその重い天体を支えるように,下には灸点を線でつながれた人物が立っている。幾何学的な世界と有機的・流動的な要素,合理と非合理とが絡み合いつつ同居するこの作品は,部分的にゆるやかに彩色され,同心円の輪郭線には量のように銀色や薄い色で線が引かれ,ぼかしが施されるなど,冷やかで秩序だって見えながらもどこか柔らかで透明な詩情を秘めている。まさに自己の肉体や精神への深い内省から,矛盾分子を包含しつつ,人体(個)と宇宙,内と外が通じ合う暖昧かつ両義的で不思議な世界へと到達したといえよう。その後,日めくりや詩の断片等の貼付を含む図式的な絵画へと移行していく中で,別々のパネルをはめ込み画面に段差を作り,異種の世界(たとえば合理的世界と陰暦の世界)を象徴させるなど,画面構成や個々のモチーフも一層意識的な意味合いを持つようになる。病状が悪化したこともあり,やがて作品はモノトーンになっていくが,1969年の〈凍結の生理〉や〈機構の生理〉のシリーズでは,ホルマリンを塗布した硬質の白地の画面に黒色の岩絵具を塗り,その上から湿った布で絵具をこすり落とすという入念で体力の要る制作過程により,白から黒への微妙な詰調を作り出し,かえってその精神的な奥深さや象徴性は増していく。そして最晩年には〈機構の生理的54)(1970年)〔図6〕のように,迫り来る死への予感の現われであるかのような黒い聞と無機的な図形や点や線で構成される静かで、クールな世界に,カレンダーもしくはポスターのヌード写真等に拠った,生めかしい女性の身体や顔が幻影のように現われる。構図的に過渡期的な不安定さが残ることにもよるが,その肉感的な女体のやや唐突な侵入は,シニカルに何か突きつけるような衝撃を与え,かつて{F市蔓茶羅〉で採用したような暗い現実と憧れや願望の,死と生(再生)の共生が新たな展開を予感させるが,三上誠は1972年1月に52歳で他界する。5 三上作品の展開の意味するもの20世紀西洋の造形様式を手がかりに,三上は日本画として破格な作品をつくることで,既成の日本画壇の制度やその表現世界に対抗しようとするところから出発した。雑巾でこすったり,コンパス等を使用したり,様々な素材を貼付したりするなど,既成の概念にとらわれない新しい表現の創造を彼は終生,模索し続けたと言えるだろう。148
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