(2) 同書,37頁(3) 下村良之介「劣等画学生j『下村良之介展一一鳥の歌・朔く形象JO美術館ほか,1989年,10頁;不動「遠眼鏡で見る古証文J『昭和20年代の日本画一一新しい美の(4)不動氏聞き取り調査による。黒田重太郎『改稿構図の研究』日本美術学院,1933(5)福津一郎「〈学塞〉日本画家の革新運動」『夕刊新大阪』1949年5月16日(8) 不動氏聞き取り調査による。(9) 特集「ピカソ芸術・理解の方法I『アトリヱ』314(1953年1月)' 26〜27, 40〜41 (10) 1964年2月26日付の日記(嶋田正編『パンリアル美術運動の旗手三上誠評論創造をめざして年6月10日発行。初版本(大正14)の可能性あり。黒田は1947年に教授に就任,1963年に退職している。(6) 〈納骨堂〉(未完成)の図版は,fアトリヱ』273(1949年10月)の特集記事「ピカソの年輪」の中で,グラビア版図版で掲載されている。(7)天野一夫「棲まわれた絵画三上誠論序説J『三上誠展へ一一』,O美術館,1990年,注(1),16頁。なお,八百山登氏は既にこの点に関し不動氏に尋ねている。頁。またシュルレアリスムの雑誌『ミノトール』(1933年創刊)に載ったピカソの礁刑図が,やはり原画とともに「<ATELIERGRAPH>ブリュネワルドの楳刑図によるピカソのデッサン」『アトリヱ』第11巻第12号(1934年12月),ページ記載なし,にも掲載されている。日記Jフェニックス出版,1995年,314頁)〔附記〕本研究並びに作品調査,資料収集に際し,天野一夫,家村珠代,大谷省吾,大野俊治,小倉実子,木本文平,篠雅贋,嶋田正(三上誠実弟),高畑郁子,中井康之,中谷至宏,中村のりこ,野田訓生,不動茂弥,八百山登の各氏をはじめ,多くの方々と関係機関に多大なるご教示とご協力を賜った。記して感謝の意を表したい。』島根県立博物館,1995年,83頁自己凝視から宇宙ω 「三上誠遺稿抄」『三上誠画集J三彩杜,159〜160頁
元のページ ../index.html#162