⑫ 元時代故事人物画研究研究者:東京大学東洋文化研究所助教授板倉聖哲『国華』1163号(1992年10月発行)(注1)においてその全貌が紹介された元時代の「唐僧取経図冊」(兵庫・個人)は,それ以来『西遊記』形成史上重要な意義を持つものとして,美術史研究者以上に,中国文学研究者,特に『西遊記』研究者の注目を集めてきたと言えよう(注2)。『西遊記』は唐時代の高僧,三蔵法師玄笑(602〜664)が西天に赴いて経典を持ち帰った「西天取経」の旅の故事を題材とする明時代の長編小説であり,それ自体が実際の玄実のインド行の記録に基づいた変奏(神魔小説)でもあるのだが,現代に至るまで様々な媒体を通じて多くの変奏を生み出し,人口に謄突してきた(注3)。『西遊記Jの源泉は古く唐初,玄奨帰国時の街談巷語に遡り,体系化された物語としては南宋時代の『大唐三蔵取経詩話』『大唐三蔵取経記Jが刊行されたテクストの形で日本に伝存している(注4)。元時代では小説系統の「元本西遊記」と戯曲系統の「唐三蔵西天取経劇」の存在が確認されているが,共に散逸してしまっており,朝鮮本『朴通事諺解Jに見える項目などからその内容を類推するに止まっていた。見出された「唐僧取経図冊」は,『西遊記』形成史上暖味な輪郭しか想定し得なかった元時代のものであり,より複雑な形成過程を想定する必要が生じさせることになった。「唐僧取経図冊jは現状では上下2冊,糊蝶装に仕立てられ,現存する32図の内,30図に内容を示す標題紙が付されている。又,清時代後期・福州の文人,梁章鎧(1755〜1849)の6肢が付随しており,本画冊が梁章矩に所蔵されていたことがわかる。梁章鎧の書面コレクションは『退庵金石書画肱J『帰国噴記』によって内容の一部を知ることができるが,晩年に入手した本画冊はこの中に見受けられない。梁章鉦の6肢の記載によって,本画冊の入手経緯を知ることができる。すなわち,道光18年(1838)の時点で陳君挙らと共に叔重所蔵の本図冊を観たときには唐・尉遅乙僧の伝称を持ち,標題と画は別々であった。その後,「孤雲処士j款を発見し,従来の唐・尉遅乙僧から元・王振鵬に伝材、を改めた。この「孤雲処士J款は下冊第16図(標題「唐僧取経廻国」)の左下隅に認められる。そして,道光22年(1842),梁章矩は晩年ついにこの画冊を入手した。本画冊に関する正確なテクストが見出し得ないので,30図に記された標題は先ず最(伝)王振鵬「唐僧取経図冊」を中心に一一一-154-
元のページ ../index.html#165