下冊第9図(標題「明顕国降大羅真人J)この2図の妓法は同様で他国と異なり,松樹の表現も特異な表現を採る。下冊第3図(標題「過魔女国」)上冊第8図(標題「唖女鎮逢唖女大仙J)全体の構成,建物や唐僧の位置など,両国は反復的であり,その関係は連続しているようである。下冊第13図(標題「白蓮公主聴唐僧説法J)下冊第15図(標題「唐僧随五百羅漢赴天薦」)建築表現,僧侶たちの描写などは両図に共通する。これらの組み合わせの中には大きさがほぼ一致しているものも含まれている。本来,lセットの中での画風の差異は画家の個性や原図の画風などから振幅が生じるものであり,モティーフの連続性はテクストに従った画面の順列によって整合性を持つものである。本画冊の現状から,部分的ではあるが,この両者に密接な関わりが指摘できることになる。作品の観察から得られたこれらの断片的な事象から推して,本画冊がある段階でのlつの物語を絵画化したセットの一部分であり,後に順序を変えて再構成したとする磯部説が穏当であると判断されよう。又,磯部説は基本的に戸田氏の提起した画風の分類に基づいており,これら8組の画面の組み合わせもその排列と矛盾しない。但し,磯部説は本画冊の原型を画巻であるとするが,画面の大小の振幅から画巻であったと断定することもできない。「唐僧取経図冊」には中国文学史上そうした重要な意義が見出せると同時に,中国絵画史においても,又,日本の多くの仏教説話画との関わりにおいても,大きな意味を有している。本画冊は,「西天取経jを絵画化した現存作例として,西夏時代晩期に制作された安西の検林窟第2窟・第3窟・第29窟・東千仏洞第2窟壁画の4例に続くものである(注5)。又,巨大陽修(1007〜1072)『子役志』や董追『広川画蹴』巻4「書玄奨取経図jなど文献に窺えるような,大画面壁画として描かれた「玄実取経図」の中には,本画冊のような単独場面のみではない物語の絵画化も行われていたものと推測される。本画冊には当時の画壇における多様な要素がlセット中に看取される。32図の内,山水背景に蟹爪樹・雲頭競を特徴とする李郭派山水の手法を用いるものが最も多く認34.5×26. 7cm 34.7×25. 5cm 35. 0×25. 5cm 35.1×27. 7cm 35.2×27.4cm 157
元のページ ../index.html#168