鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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められる。山水画が画壇を主導する中心的ジャンルであった宋時代には,多様な山水・雲煙表現と人物表現の結び付きが試みられた。華北系・李郭派の造形語棄を用いた着色道釈画として,例えば,天・地・水三官とその春属を描いた「三官図J三幅(ボストン美術館)の内の「地官図」(注6)や山西省繁峠県に所在する金時代の巌山寺壁画(注7)などが挙げられよう。本画冊もこうした系譜の上にあることは確かで、ある。その中で,例えば,上冊第15図では,双松を中心とする樹叢と人物表現の対比が元・唐様「霜浦帰漁図J(台北故宮博物院)などに近似しており,この図は同時代の元代李郭派との近縁性を端的に示す好例であろう。その一方で、,上冊第1図・第9図・下冊第14図・第16図における市街の描写に見られる樹法や楼閤表現は,南宋・(伝)粛照「文姫帰漢図冊J(ボストン美術館)や「迎饗図巻J(上海博物館)のそれに近く,画院画家李唐・藁照に代表される南宋故事人物画の表現を継承したものと見なせよう。この他に,例えば,(伝)南宋・李嵩「歳朝図」(台北故宮博物院)は縦長画面で,建築物によって基本的に二段構成としており,雲煙の形態が非常に近い点も注目される。又,下冊第9図・下冊第11図の松樹の表現は南宋画院の劉松年の長松葉の形態を想起させ(注8),競法は南宋時代の林庭珪・周季常「五百羅漢図J(大徳寺など)に見られる競法に近い。「五百羅漢図Jは,i享照5年(1178)頃から10年余りの聞に,明州(i折江省寧波)恵安院(青山寺)の僧,義紹が幹当し,近在の寄進者によって施入されたものだが,この披法には南宋画院の李唐派の斧野被の影響が認められる。この羅漢図中には,鬼形が担ぐ輿に乗った羅漢とサルの侍者が描かれた画幅がある点でも注目される(奈良国立博物館寄託東文研番号JT10 001 77)。「五百羅漢図」自体,風俗画・肖像画的な要素も多く認められ,宗教的図像の枠を超えて,他ジャンルからも積極的に図像を取り込んだものであるが,その他にも下冊第15図などと近似した図様を見出すことができる。つまり,本画冊の図様の典拠の幾っかがこうした羅漢図などに求められるのである。このように様々な要素が共存する本画冊は元時代において華北・江南の絵画伝統が混請する多様な画壇の様相を顕著に示す作品として特筆すべき存在である。本図冊の伝称画家である王振鵬(1280?〜1329?)は,元・仁宗朝(1311〜1320)を代表する画家であり,白描画の名手として名高い。永嘉(i折江省)の人で,字は朋梅,号は孤雲処士。現存する伝称作品として「維摩演教図巻」(メトロポリタン美術館)・158

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