鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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年後の1819年,再びテーブルを囲む群像表現に挑む。集団肖像画『チェスの試合』(図3〕である。この作品で,フンメルは以前にもまして幾何学的な画面構成を試みている。画面は再び一点透視図法で構成され,厳格な左右相称を示す。観者が正面に臨む窓が,壁面を垂直方向に正確に三分割し,その窓は,桟によってさらに12個の正方形に分割される。正方形のパターンは,画面の中央に配置されたチェス盤の市松模様,壁紙の規則的なパターン,そして床材の板の目に,再び見い出すことができる。「チェスjは17世紀オランダ風俗画にしばしば見い出される主題であり,この作品の注文主がオランダ王妃であることや,フンメル自身がオランダを旅してその芸術を広く見聞したことがその想に影響しているであろうことは容易に察せられる。しかしこの作品における「チェスjは,オランダ風俗画に描かれるそれとは大分趣を異にする。そこには,娯楽にうち興じる人々のうちとけた表情が完全に欠如しており,かわって深刻な議論の場といった様相を呈しているのである。群像中,もっとも重要な位置を占める人物は,観者を見据えつつ駒をさす考古学者ヒルトであろう。対戦者である画家のフリードリッヒ・ブリーはたった今ヒルトに敗を喫したところとみえ,ヒルトの王手に両手を広げて賛嘆の念を表している。二人の聞に座し,視線をチェス盤に落として思索に耽っているのは,注文主の異母弟であり,フンメルの後援者でもあったインゲインハイム伯爵である。これら三者一一一学者,画家,メセナ一一の手が,チェス盤の上で丁度組み合わされているかのごとくに接近して描かれているが,これは偶然の産物ではありえなく,明らかに画家の意図によるものである。ここに,この作品におけるチェスの役割を解く鍵が隠されている。チェスは知的遊技であり,絵画もまた然り。ベルリン古典主義美術の精神的支柱であったヒルトの王手は,「絵画芸術を支える知jの象徴として捕えるべきなのである。フンメルはこの作品で,観者の視線を中央に集める一点透視図法の特質を活かし,画面の中央に位置するチェス盤に象徴性をもたせ,伝統的な風俗画の主題に新たな解釈を施した。絵画芸術を数学的に構築することに努めたフンメルの,面白躍如たる作品である。1.1. 2 消点の複数化1819年,ヴイルヘルム・シヤードウの帰国とともに,ベルリン画壇にはナザレ派に-165-

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