鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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フンメル作品に初めて鏡が登場するのは,前述した『チェスの試合』に於いてである。画面の左右に配置された大型の鏡と,正面の窓ガラスが各々室内の光景を映しだしているが,これらが伝達する新しい情報は,右側の鏡の中に見える壁暖炉のみである。この鏡は,後述するように,様々な光源による光の効果を描出することに耽っていた当時のフンメルが,画中に既に存在する光月,蝋燭,ランプーーに暖炉の灯を描き入れ,画面内の情報量をより充実させるためにとった策とみなされる。左側の鏡は,人物群のうちの二人をいま一度映し出しているに過ぎないのだが,構図上の役割は,右側のそれよりも遥かに重要である。すなわち,この鏡像は,画面右半分の人物群に対して,半数にすぎない画面左側の頭数を補い,非対称の人物配置を均斉のとれた配置にまとめる役割を果たしているのである。看過することのできない要素として注目されるのが,左の鏡の上に見える肖像画である。画中の空間を相対化する「画中の鏡jは,「画中画」と対峠することで逆に相対化され,絵画芸術における空間構造の恋意的なあり方を,遊技的に示唆している。『ベルリンの居間J〔図5〕における鏡の使用法は,この『チェスの試合Jの延長上にあるものといえる。一点透視図法で構成された室内には,一見するところ,観者に向かつて正面の壁に二つの窓,右の側壁には隣室に通じる入り口を備えているかのようである。だが注意深く観察するならば,この壁面の開口部は実は窓と同じ大きさの鏡であり,「隣室」に見える二人の女性は室内に座す二人の鏡像であることが明らかになる。ところが,この三人を含む室内の人物は,互いに鏡像のように似通った外見をしているため,観者は,鏡像の女性二人が,はたして鏡像であるのか,それとも画中の「現実」に属するものであるのか,最終的な確信がもてない。この作品においては,鏡像が絵画空間の中の「現実」と全く等価なものとして構図を決定しているばかりか,人物までが個性を失い,空間構造に従属しているという点において,構図に明確な重心が存在していた集団肖像画『チェスの試合』よりも一層抽象的な空間が実現しているのである。1839年の『トリピュナル』(大戦により消失,図はその習作)〔図6〕は,絵画空間に新たな次元を開く鏡の機能を,更に徹底して追究した作品である。7本の付け柱を巡らせた八角形のプランの内部空間が,半円柱聞の壁面を覆う6枚の鏡に映し出されている。これらの鏡に写し出された像は,互いの鏡像を反復しつつ,遠近法の消点に向かつて無限に縮小していく。一枚のタブローの中に複数の遠近法的空聞がせめぎあ-167-

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