ten」,英語では「castshadow」と呼ぴ習わされるこの種の影を精確に表現するためには,ten)である。画面の枠外に置かれた,地平線に限り無く近い一点からさす太陽の光線この点は,光の球の中心点であるとみなされる」(傍線筆者)(注14)。この「光の球」という現象は,実験室のような閉ざされた空間の中での人工照明においてのみ,可視的に確かめることができる。自然光が拡散する様子を肉眼で見分けることはできず,太陽光線や月の光線は経験的に平行であるとされるからである(注目)。フンメルが一時期「夜」を好んで画題に取り上げた原因が,ここに隠されている。フンメルにとっての「夜jまたは「闇jは,実験室の閉ざされた空間に等しい。それは光をより一層純粋な形で表現するための道具として,いわば「光の容器」として機能しているにすぎない。このような聞に対するフンメルの姿勢は,18世紀に生まれ,19世紀に生きた者として,自らの思想的起源への頑なまでの信仰告白と看倣されるのである。1. 2. 3 投影法と遠近法強い太陽光に照らし出された風景を描いたイタリア時代と,聞に包みこまれた光の表現にこだ、わったベルリンの「ロマン主義時代」。この二つの期間にフンメルが制作した作品群に共通するのは,殆どの場合,地上に投影された影が構図を決定する上での重要な要素として効果的に使用されている点である(注16)。ドイツ語で「Schlagschat-投影法の知識が必要となる。それは線遠近法のエキスパートであったフンメルにとって,すべからく修得し,錬磨すべき素描技術でもあった。後年,フンメルの関心は,再び太陽光のもとでの影の表現に向かう。『イタリアの墓地』(1845)〔図9〕は,晩年のフンメル作品に見られる陰影表現を知る上で恰好の一例である。一点透視図法で構成された左右相称の画面構成,画面の中心軸にそって前景から後景へと配置された三重の開口部等の要素は,初期作品『フェルマーテJを思い起こさせる。手前から数えて第二のヴオールトが,第一のヴオールトの柱間隔を丁度三分割する距離に置かれている点にもまた,初期作品との様式的類似を見い出すことができる。観者の視線は,ドーム天井をいただく前広間を抜けて戸外の墓地へと放たれ,その先に見える門を潜り,天をさすロマネスク式の塔へと真直ぐに導かれる。一点へ集中する消線の流れが,この視線の動きを更に加速する。唯一この動線を中断し,画面に異なる動きを付加しているのが,地上に描き出されている影(Schlagschat--170
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