(1) 吉永雪堂『崇福寺雑誌・五一一黄葉唐仏師沼賛公・道生紀年録一一』聖書山崇来坐像を例証として説示する方が一層説得力があったのではなかろうか。幸いにも本像の添え書きに「正徳五年(1715)未ノ七月二十四日南惇馬町大仏師法橋普慶jという製作年代・製作者名が明記されている。この善慶という仏師は,その居住地から江戸の住人で元禄十三年(1700)千葉県荘厳寺の十一面観音菩薩立像を大仏師左近(江戸馬喰の住人)と共に修理した大仏師和泉善慶と考えられ,俄かに元慶松雲との関係が注目されている。以上,十点の調査成果を指摘した。いずれも我が国の近世仏教文化史を彩る重要な人物と文化財であり,「悪趣味」・「雅賞にあらざるjと榔撤されるものは何一つない。悉く仏像は一応に祈りの美へと昇華されてきたのである。貴賎の如何を問わず老若男女は仏像の前では拝むもの,拝まれるものを越えて不二であった。〈仏像の歴史は人々の信仰史である〉という筆者の主張に微塵の揺ぎもない。おわりにより充実した『黄葉仏像様式の研究』を積み重ねて行くためには,筆者自ら一層の詳細な調査と具体的な報告書の作成に精進しなければならないが,それにも増して多くの学究のご教示とご指導が不可欠であることは重言するまでもない。その意味からもこの度,武蔵野美術大学教授田辺三郎助先生の過分なるご推薦の言葉を頂いて『鹿島美術財団』の助成を得たことは筆者にとって最高の栄誉であった。財団のますますの弥栄を祈念すると共に,本研究への助成に衷心より深謝するものである。主要参考文献福寺1961(2) 宮田安『長崎崇福寺論孜』長崎文献社1975 (3)拙稿『黄葉研究資料・三輯黄葉山と活道生J黄葉宗務本院1983(4) j王立信・飽樹民『徽州明清明居周骸lj』文物出版社1986 (5) 大槻幹郎・加藤正俊・林雪堂『黄葉文化人名辞典』思文閤出版1988 (6)宮田安「崇福寺研究・其の二(7) 拙稿「日本仏像変遷史からみた市道生の位置と影響についてj『東日本学園大学泊道生について一一」『長崎評論・第四冊.l1958 8
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