るのである。また真如の根本を極めることを知れば,天・地・人の三才の自ら造り,自ら変化する働きも,ただ真知の中にあるのだ〔図4〕(『鍛斎研究J第五十三号作品賛文の内容からみれば,銭斎はここで専ら仏教的な話を述べている。自分を済度し,他人を済度するという言葉から利他中心の大乗仏教の特徴がみられるが,その主語に,銭斎は儒・道・釈の三者を持ってきている。ここから,銭斎が「三老吸酢jの画題の象徴的意味,即ち「三教合一」について充分に理解していることが分かる。従って賛の意味を念頭におきながら〔図3〕を見てみよう。この絵は黄山谷・蘇東披・悌印の三人が桃花酸の鉢の前に立っている場面を描いている。左に道士の格好をしているのが黄山谷,真ん中は蘇東坂,右は悌印である。悌印の手は鉢の縁に置いて「どうぞ」という姿勢を取っている。画面の構図は簡潔であり,縦長い掛幅で,上部は画賛を題し,下部は人物を描き,背景はなく,真ん中に豊かな余白を配置している。上部の画賛は整然な楢書で書かれている。線条は簡単だが,人物の服の雛,五官などは非常に繊細な筆触で丁寧に描かれている。真ん中にいる蘇東坂を例に見ると,上着の襟の部分に中の服の襟が出ている部分もきちんと細い線で表現している。黄山谷・蘇東域・悌印の三人は,ほぼ同じ水平線に立ち,殆ど正面の像である。容貌や身につけるものから,それぞれの身分がはっきりと判明できる。黄山谷は額に印が点じられ,手にちり払いを持っていることから,典型的な道士のイメージが窺われる。この場面の中心になっているのは画題「三老吸酢Jのシンボルでもある桃花酸の鉢であり,三人の表情はまだ酢を嘗める前なので,厳然,堂々としていて,俗世間を離れた,神聖,厳粛な雰囲気を漂わせている。明らかに「三老吸酢Jの故事に,三人が酢を嘗めて共に眉を寄せた内容については,この絵には反映されていない。このことからも,この図においての三人の人物がそれぞれ儒・道・悌の象徴的な存在として描かれていることが察せられる。従ってこの絵を通じて,餓斎は正に儒・道・備の三教が一致するという深層の象徴的意味を表現していることが読みとれるであろう。二面白味への追求五十代作『三聖吸酢図』の場合五十代は鍛斎画風の展開期とでも言えよう。この時期の鍛斎は隠逸生活に入り,各182-
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