其不及於時。偶披此図。書発一笑。右王陽明。鼻に五斗の酢を吸うような辛い目を堪え忍んで、こそ宰相になることができると世間で、は言っている。蘇東壌は平生,おれは物事にこせこせしない大らかな男だと自分で言っていたが,黄山谷と一緒に備印禅師を訪問して桃花酸をもてなされた時,一滴の酢が口に入ると,そのまま目を閉じ,眉をしかめた。だから時世に合わず,宰相になれなかったのも当然である。たまたまこの三老吸酢図を聞き,この賛を書いて一笑いした。右は王陽明の文集に見えている〔図8〕(『銭斎研究J第二号作品二十三)。賛文を読む限り,これは明らかに識斎が王陽明の言葉を使って,蘇東壌の率直な個性を詠ったものである。またこれを証しているように,この作品の箱書きに鍛斎が八十五歳の年に書いた文章が見られる。余屡語王文成集閲此賛。則写其意。私は屡々王文成集(王陽明の文集)を読みこの賛を見る。従ってその意を描く。この図を通じて王陽明の言葉の意を表現することを,識斎ははっきりと言っていたのである。この意を念頭におきながら,絵の方を見てみよう。〔図7〕を見ると,この絵の構図は『三聖人図J,『三聖吸酢図』に比べて人物と賛の聞の距離が縮小され,余白は少なくなっている。従って,画面は前述の二作よりもっとまとまりがあるように見える。これを,鍛斎晩年の山水画の画面いっぱいに墨を施し,殆ど余白を残さない特徴と合わせて考えてみると,偶然なことではないだろう。人物の場面と賛文の部分はそれぞれ絵のほぼ半分ずつ占めている。人物の按配は依然として桃花酸の鉢を囲んで左から黄山谷,蘇東坂,f弗印が立っているが,この図において注目すべきは,三教合ーの思想、を象徴する「三老吸酢Jの画題のシンボルである桃花酸の鉢が悌印に遮られて,殆ど見られなくなっていることである。この表現を通じて,この絵においての「三老吸酢」の画題の思想的象徴意義は,既に重要視されなくなっていることを銭斎は暗示しているのだろう。蘇東坂は既に桃花酸を嘗めたが,酢をつけた指は空中に止まっており,酸つばさで顔が上に向いて,さらに口を大きく聞けている。悌印は指につけた酢を嘗めたばかりで,表情が止まった状態である。黄186
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