鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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⑮ 19世紀アメリカ風景画における新要素の導入研究者:東京家政大学非常勤講師人見伸子1.序1864年4月,ニューヨークのユニオン・スクエアで開催されたメトロポリタン博覧会では,長いアート・ギャラリーのほぼ中央に,フレデリック・チャーチ(1826-1900)の〈アンデスの奥地〉とアルパート・ピアスタット(18301902)の〈ロッキ一山脈,ランダーズ・ピーク〉が,ちょうど向かい合うような形で展示され,観客の注目を集めた(注1)。どちらもほぼ同サイズの大画面であり(〈アンデス〉は168×302.9cm, 〈ロッキ一山脈〉は186.7×306.7cm),また前者は南米エクアドル,後者はアメリカ西部の壮大な風景を描き,構図の点でも共通する要素が多い。まず〈アンデス〉〔図l〕では,前景に熱帯植物や鳥・蝶の細密な描写〔図2〕があり,川が滝となって流れている。川の上流には教会が建ち,前景の道ばたには十字架と現地民の姿が見える〔図3〕。そして広大な熱帯の風景を締めくくるのは,画面左奥の雪をいただく山頂だ。一方〈ロッキ一山脈〉〔図4〕では,前景に活気に満ちたインデイアン部落のたたずまい〔図5J,中景に滝となって流れ落ちる川の源流,そして山の連なりで構成された後景の中心には,やはり雪に覆われた崇高な頂がある。実際のところ,〈アンデス〉は1859年に先んじて特別公開されたチャーチの出世作であり,ピアスタットがあらゆる点で〈アンデス〉を意識しながら,〈ロッキ一山脈〉を制作したことは間違いないだろう。さらに両者がパノラマや写真という新しいメディアを利用していた点でも共通している。この小論ではこうした新しいメディアが19世紀アメリカ風景画の中でどのような役割を果たしたかについて,具体的な例をあげながら,検証していきたいと思う。18世紀の末頃,イギリスでは,「パントマイム・シアター」や「ファンタズマゴリア」など,風景を効果的に見せる仕掛けが流行した。中でもエデインパラ出身の画家ロパート・パーカー(17391806)が1787年に発明したパノラマは,観客を全方位から取り囲む風景で構成され,最も人気を博した。パーカーは,ロンドンのレスター・スクエアにあった自宅裏にパノラマ館を開設,息子の協力を得て〈ロンドンの眺望〉を皮切り2.ノfノラマ192

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