の方はおおいに注目され,アメリカ東部の都市を巡回することになった。これがチャーチのパノラマ体験の嘱矢となったわけで、ある。このようにもてはやされたパノラマも,南北戦争(186165)以降になると,大衆の好みの変化や写真の発達に伴い,衰退の一途をたどることになる。そしてこの現象に呼応するかのように,今度は,序で紹介したチャーチやピアスタットの「パノラマ的風景画」が,大衆の注目を集めるようになった。「動くパノラマ」はやがて細部を正確に映し出す幻灯機へ,あるいはエデイソンのキネトスコープ(1889)を経て,現代の映画へと変質することになる。3.写真・立体写真1839年,ダゲールがダゲレオタイプと呼ばれる銀板写真を発明し,さらに1841年にイギリス人タルボットがカロタイプを発表して以来,写真はめざましい発展を遂げ,画家にとっても有益なメディアになりつつあった。その後,視点を少しずらして撮影した2枚の写真を使って,立体写真が登場することになる。多少ずれた二つの像を特殊な眼鏡を使って眺めると三次元的に見えることは,かなり古い時代からわかっていたが,レンズを使った立体鏡は,1848年,イギリスの物理学者デイヴイツド・ブルースター(17811868)が発明したといわれる(注6)。この立体鏡が1851年のロンドン万国博覧会に展示され,ヴイクトリア女王の目に留まったのを契機に,1850〜60年代にヨーロッパやアメリカで,立体写真が急速に広まった。アメリカでは立体写真の大量生産が始まり,最盛期の1862年には,ある業者が30万組の立体写真を販売したという記録さえ残っている(注7)。写真は,現実を正確に写し取る点ではきわめて有効な手段であるが,三次元空間の平面化という欠点が残る。一方,立体写真は平面化の問題を克服し,画家たちにとっては制作の補助的手段として,俄然,注目を集めることになった。特に,アメリカ西部や南米など未知の土地を忠実に記録したいと願ったチャーチやピアスタット,トマス・モランなどの風景画家にとっては,非常に魅力的な手段であったに相違ない。まずチャーチと写真との関係を検証してみよう。ニューヨーク州ハドソンにある彼の旧居に設立された什|立オラーナ歴史館(Olana State Historic Sit巴)には,スケッチ以外の遺品として,立体写真やパノラマ写真,岩や蝶々の標本,そして懸しい数の科学書や写真入りの旅行書が残されている(注8)。中でも彼が最も大切にした書物は,ド194
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