② ポール・ゴーガンのタヒチ作品が19世紀末〜20世紀におけるタヒチ・イメージに及ぼした影響について研究者:成城大学大学院文学研究科博士課程修了高久1 はじめにポール・ゴーガンがタヒチ(注1)を離れマルケサス諸島に移住してから,ちょうど100年が経とうとしている。この間,タヒチをとりまく状況は大きく変化した。その顕著な例をここでは二つ挙げておきたい。第一に,考古学等の成果によって,タヒチの過去が次々と復元されたことが挙げられる。1925年頃までは,このような熱帯地方では暖かい気温と湿気が原因で,古い遺跡や遺物は皆腐敗してしまって何も残っていない,と一般的に考えられていた(注2)。ところが1930年代から始まったハワイのビショップ博物館の発掘調査や,太平洋に平和が戻った第二次世界大戦後にとマっと仏領ポリネシアを訪れた人類学者民族学者らの研究によってポリネシアの先祖たちが残した遺物がみごとに発掘され,復元されるという奇蹟が起きたのである。この流れを受けて,今では,タヒチの人々の中には,古来からの伝統文化や風習の掘り起こしと再現に努めるものが出てきている。第二に挙げるべきは,フランスに対するタヒチ人の政治的態度の変化だろう。1962年から仏領ポリネシアはフランスの核実験場となった。1995年9月,世論の反対を押し切って強行されたムルロワ環礁での地下核実験はまだ記憶に新しい。そのときにタヒチの首都パペーテで起きた反対運動のデモ隊は,数万人の規模に達した。またタヒチでは近年,アイデンテイティを求めて独立運動をする人が増えてきている。もっとも,その一方で、,独立運動をせずとも否応なく独立させられるのではないか,つまりフランスから「お荷物」として見棄てられるのではないかというかなり蓋然性の高い風説もここ数年絶えない。このごつの大きな変化と比べると,われわれが抱くタヒチのイメージは旧態依然としていると言わざるをえない。南海の楽園,官能的で性的に奔放な美女の島,世界屈指の高級リゾート地,ゴーガンの愛した島,大体そのあたりに落ち着くであろう。前三者はタヒチが[発見」された1767年の昔からあったが,後の二つは,20世紀に入ってから定着したイメージである。19世紀末から20世紀の今日まで,ゴーガンのタヒチ作品と見る者とがどのような関係をもってきたのか。タヒチ作品が見る者に何をして-10 馨
元のページ ../index.html#21