⑮ 宋元版見返し図の基礎的研究研究者:昭和女子大学文学部専任講師内田啓一はじめに本研究は宋元時代に開板された経典見返し図の図様と展開についての研究を最終目的とするが,基礎的な研究として北宋時代に開板された版画について考察を試みた。北宋時代のもっとも著名な版画は清涼寺蔵釈迦如来立像納入品であろう。弥勤菩薩図,霊山説法図,文殊菩薩図,普賢菩薩図の四枚の版画はその大きさと気品の点から著名かつ代表的な作例であることは誰しもが認めるところである。弥勤菩薩図は羅照元年(984)の開板年が明確であり,斎然が翌2年(985)に造立した木造釈迦如来立像の納入品とその経緯も明確で、ある点も重要である。他の3枚の版画についても同納入品ということでほぼ同じ時期に制作されたものとして考えられている。また,不思議なことに,納入品であるから日本への影響はなかったと考えられている。本稿では,研究助成にて実査することができた清涼寺の四枚の版画を中心に考えてみたい。第一に納入品であるがため,同時期の作例であるとみなされることについての問題点と日本への影響の有無についての二点を再考し,第二に版画としての形式と版画としての彫板・摺写の関係,そして請来と日本へ与えた影響などを同時代の経典見返し図も含めて検討してみたい。一,清涼寺本四枚の版画の特徴と北宋時代の版画この4枚についての版画としての共通点を考えてみよう。まず,サイズであるが,弥勤菩薩図が53.6×28.3であり,普賢菩薩〔図1〕・文殊菩薩〔図2〕が63.6×29.7で,縦は若干短いが,横幅がほぼ同じであることは注目すべきである。法量の同ーは開板の制作手Jil貢,もしくは,開板後の使用方法など,ある条件によって同一になるはずであろう(注1)。ちなみに霊山変相図は78.0×42.1とこれらの版画よりかなり大きい。従って,ほほ同時期に開板されたとしても使用目的や方法が異なるものと想像できる。4枚の版画の特徴のひとつとして,二重線で画面を囲む形式があげられる。これを他の作例からみると,ベリオ敦憧請来のパリ国立図書館本や英国図書館本の10世紀中頃の版画はすべて二重線で区画されている(注2)。これは木版特有の界線と思われる-205-
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