ける木版の開板は全盛期を迎える。その伝法院に保管されていたのが達磨宗六祖図の板木であり,そして,成尋が入手した版画の摺写がそれこそ長らく保管されていた板木の新摺写である点も留意すべきだろう。しかも,二枚摺写している。同じく『参天台五台山記』第六,照寧6年(1072)正月25日の条に三蔵行者。十六羅漢十六鋪,釈迦像一鋪持来,与直銭十貫四百丈絹三疋了,総合十四貫也,送石蔵料耳,従当院倉借出五百羅漢摸印七人各一両本摺取,とあって,党才三蔵行者が十六羅漢と釈迦像の画像を持ち来たり,成尋は代金を払い入手して石蔵に送っているが,版画の五百羅漢の場合は,板木を倉より借り出して摺写している。成尋の場合は先の達磨宗六祖図にしても板木から新たに摺写しており,摺られた版画を請来するのではなく,板木から摺写した版画を請来している。これは図像にしても既存の図像を請来するのではなく,新写されたもの(新写させたもの)を請来するのと同様である。経典も新写経の請来である。新摺写という点に注目しておきたい。版画の場合,開板年と摺写年が同時期であることも当然であるが,浮世絵で言うような後摺,すなわち開板年と摺写年が隔たる場合があることも考慮せねばならない。また,「七人各一両本」とあることから7人各人が2枚ずつ摺写しており,摺写されたものはl枚ではなく,複数枚であることも留意しておきたい。先の達磨宗六祖師像も2枚である。版画の場合,一度に何枚も摺写して束のようになったそれらをどこかに保管しておき,一枚ずつ頒布するなり,布施すると考えられがちであり,もちろんその場合もあったと思われる。北宋.i下京の都市が活写された『東京夢華録』巻十の「十二月」には(注11)三十四日,……帖竃馬於竃上とあって,竃の神を貼っており,また,近歳節市井皆印売門神鍾埴桃板桃符及財門鈍櫨回頭鹿馬帖子とあり,歳暮に近づくと版画が市井で売られている様子を見ることができる。これはいわゆる年画であり,民間における版画の普及が察せられるが,寺院管理の版画とは異なるものだろう。仏教に関する版画の場合は,板木が保管され,必要に応じてその都度摺写される場合がしばしばあったようである。以上のように考えると,文殊・普賢図の両版画が弥勤菩薩図に比べてやや様式的に上がるものであるのも,高文進という版下画家の問題と共に摺写年は同2年であって209
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