つUつ山注(1) ある条件として開板の制作手順によるものでは如来図などと構成も同一で、あることも注目できょう。実運撰『諸尊要抄』(『大正蔵』)の「白衣観音jにも或師云。白処者白衣是也。唐摺本宝冠之上覆白緒。左右端垂肩上。験知不空絹素経第八九二十二三十。井云白衣観世音母。とあり,白衣観音の唐本摺本が知られ,版画から図像へと転写されていったのだ、った。また,『阿裟婆抄j(『大正図像』)巻第八十四,請観音にも楊柳観音云。近代上下不論令摺供養。是唐本也。経文一枚書具之とあり,唐本摺本の楊柳観音が知られ,しかも最近では上下関係なくみな楊柳観音の摺供養をしているという。以上,見た限りでも,転法輪蔓茶羅,烏費沙摩明王,白衣観音,楊柳観音の唐本摺本が何らかのかたちで密教事相家達に知られていた。これらは唐本といっても恐らく宋本であると思われ,斎然以降に請来されたものであろうし,密教図像の中に混ざり,宝蔵・経蔵に納められ,事相書の中に取り入れられていたものと思われる。その他,先に述べたように,仁和寺本一切念諦行事勾当像や『別尊雑記J所載の阿閥如来なども原本が版画と想像される図像である。宋本絵画の請来については11世紀にしばしば往来していた宋商船が様々な文物を日本にもたらしたと考えられている。版画の場合を考えてみると,基本的には板木から摺写するものとすると,一般人には不可能で、,僧侶のみが可能であろう。とすると,この時期の舶載品のルートとしてしばしば考慮される宋商船によって我が国にもたらされたのではなく,斎然以降の入宋僧のみ版画を請来できることになろう。おわりに宋元版画の基礎的研究として,清涼寺本の4枚の版画を手がかりとして形式の特徴と摺写の問題,そして我が国への請来の問題を考えてみた。今後の課題として,呉越から北宋時代の版画の種々相と鎌倉時代に数多くみられるようになる法華経見返し図(注18)についても摺写と請来について,また,我が国の絵画や彫刻作例への影響がある。また,改めて考えてみたい。
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