qJ (2) 菊竹淳一「敦埠の仏教版画一大英博物館とパリ国立博物館収蔵品を中心に−」『仏(3) 高麗版として著名な南禅寺所蔵の『秘蔵詮』の「仏賦・詮源歌」の見返し図も四(4) たとえば,別尊是茶羅の多くが周辺を飾る。(5) 「永充供養」の語句は『別尊雑記』巻第三十三の水月観音に「大宋国泉州清信薬陳(6) 石田尚豊「飛来峰の華厳仏会像」『ミュージアム』194号1967年5月(後に『日(7) その刊記は①板木の製材,彫板の問題② それに類する板木保管の問題使用方法では①貼付空間② その他の書籍とのサイズの関係などが考えられる。教芸術J101号,1975年辺を三鈷杵と花文で装飾し,四隅に花文を配する形式である。また,時代は下るが,栗腺庵本の南宋法華経の見返し図も釈迦説法図の周囲を装飾帯が囲む。花文が綴密に配される形式。なお,『秘蔵詮』については江上綬・小林宏光『南禅寺所蔵『秘蔵詮』の木版画』(山川出版社,1994年)参照。成宗敬為/小男法師祈永平安彩画観音菩/薩一顧拾箭前須良門山中大殿/永充供養時代辰寛治二年三月/初九日唐釈謹題云々」とある。寛治2年(1088)の日本の元号で記されているが,大宋国泉州で描かれた水月観音である。また,清涼寺釈迦如来像の像内納入品の「五臓背皮jにも「維羅照二年歳次乙酉口口(八月)初五日口(丁)丑製五蔵一副捨背理入日東日本国釈迦像内,永充供養jとあり,「永充供養」は定型語である。本仏教美術史論集』所収中央公論美術出版刊1988年)高郵軍弟子呉守真捨浄財開此版印施上答四恩三友下酬生身父母然保自身羅県三年六月日紀であり,これが刻刊記であるので,単独経典なのか,ある程度まとまった数十巻の経典のうちのひとつであるのかここからは判断できないが,六月に彫板が完成しても摺写の完了は当然これ以降である。7月21日に造立を開始して8月18日の完成日の聞に斎然もしくは嘉因が入手したのであろう。
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