[l争教寺本]釈迦は,両手体側・横臥という特徴を取るものの,頭部を載せる蓮華を象った枕が宝床の手前端に置かれ,顔は画面下方を向き,重ねた両足先ともに画面下方に向ける点で,高山寺本と姿型の捉えられ方が異なっている。浄教寺本と同系統の釈迦を描く浬繋図としては,平安後期の中尊寺経(清衡経)大般浬繋経後分巻上見返絵,同じく奈良・達磨寺本などを挙げることができる。とくに,釈迦の袈裟に精綾な裁金文様を施すといういわゆる平安仏画としての特色を備えた達磨寺本の表現は,j争教寺本にも踏襲されており,裁金を全く用いない南都仏画と共通点が多い高山寺本と明らかに一線を画す(注5)。また,中尊寺経の場合も料紙が延暦寺の僧によって施入されているように(注6),京と接点が強い作例といえる。よって浄教寺本に描かれる釈迦の姿は,京周辺で流布したものである可能性があろう。裟羅樹の数は日本の浬繋図に多い八本とする。しかし,宝床の四方に裟羅樹を配すのが通例であるのに対し,浄教寺本では釈迦の前面に掛からないようにする配慮から,宝床の後方に並置される。このような描写も前述の中尊寺経見返絵に描かれる浬繋図と共通するものである。画面右上隅に描かれるのは,摩耶夫人が雲に乗り阿那律に導かれて飛来する姿である。こうした摩耶が阿那律を伴う図像は鎌倉後期以降に定式化するもので,浄教寺本はその最も早い例と考えられる。地蔵は左手に宝珠を持ち,右手を施無畏とする。このような姿は金剛峯寺本と共通する密教系の像容であることが指摘されている(注7)。四天王は青・肉色・赤・緑青と身色が異なる。一般に南都系寺院では,『陀羅尼集経』及び『般若守護十六善神王形体』に基づいて,持国・増長・広目・多聞に緑青・赤・白・群青の身色を対応させる造像が多いとされる(注8)。i争教寺本の四天王は『陀羅尼集経』によって,青肉身で右手に宝塔を持つのを多聞天,赤肉身で右手に宝珠を執るのを持国天と比定できるが,『般若守護十六善神王形体jには持国天を緑青色としており相違が見られる(注9)。同様の尊容と身色の関係を示す作例として,京都・東福寺蔵天部像彩絵扉(鎌倉中期)に描かれる四天王が指摘でき,南都に流布したのとは異なる四天王の形制に基づいた可能性があろう。以上のように浄教寺本の図像は,南都との繋がりが強い高山寺本とはやや異なる伝統の上に成っているように思われ,釈迦の姿型や着衣の載金文様などを参考にすれ220
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