鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
238/763

⑮ 岸派の形成と継承に関する研究研究者:岐阜県博物館学芸員岩佐伸一はじめに近年,各地の美術館や博物館において近世絵画をテーマにした展覧会が数多く聞かれ,埋もれていた画家の掘り起こし作業が進められている。今回,研究課題とした岸派についても,調査研究,展示公開が行われるようになってきた。岸派とは岸駒(?〜1838)を祖とし,一般的には岸岱,岸連山,岸竹堂と続く画系を指すが,従来より岸駒と岸竹堂にはある程度の注目がなされ,作品をはじめとする資料や研究成果も公にされることが多少行われつつあったが,それ以外の人物に関してはほとんど注目される機会がなかった。それゆえにどこにどのような資料があるのかという基本的なことの集成さえなされておらず,「岸派jという文言が19世紀の美術を語るにおいてしばしば用いられるにもかかわらず\実体は岸駒と岸竹堂の画業ばかりで語られてきたと言っても過言ではない。本研究においてはそのような「岸派」に関わる資料をできるだけ集め,個人の画業はもとより,岸駒および彼を始祖と仰いでいた人々がどのような実体を持ち変遷していったのかを本画だけでなく,その他周辺資料を含めて明らかにするための資料の集成を目的とした。従来の絵画史研究においては,制作者及び製作物に対しで注目することが多かったが,当研究では享受者の立場からはどのように絵師たちを見ていたのかを物語る資料や京都画壇の作品が地方へ受容されていった様子を示す同時代資料などの発掘にも努めた。もちろん絵画史の研究に当たっては制作された作品が大きな位置を占めることは疑いのない事実ではあるが,制作された時代にあっては当然鑑賞なり記録なりの役割を背負わされて生まれたことは確かで、あり,それを享受した人々を無視しては作品の背景など伺い知ることも十分で、きないと考える。よって当調査研究においては本画はもとより,粉本や画家番付,展観目録などの二次的と言われる資料の集成にも重きを置き,それらから岸派が何を生み出しどのように継承されていったのかの一端をかいま見ることができれば,現在端緒に着いたばかりの19世紀京都画壇の研究に資するところがあるのではないかと考えてすすめた。227

元のページ  ../index.html#238

このブックを見る