鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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注(1)「天開翁略年譜」(「岸駒j展図録富山美術館昭和62年71〜79頁)による。(2)宮島新一「岸駒」(「岸駒」展図録富山美術館昭和62年‘7〜14頁),武田恒夫(3) 黒川修一「京都における唐絵」(「京の絵師は百花糠乱」展図録京都文化博物館(4)責任編集辻惟雄『在外日本の至宝6 文人画・諸派』毎日新聞社昭和55年(5) 栗東歴史民俗博物館や富山佐藤美術館においてその整理作業が進められている。(6)「政隣記抄」(「岸駒」展図録富山美術館昭和62年98〜99頁)による。(7)佐々木丞平「岸駒の生涯と芸術J(「岸派とその系譜」展図録栗東歴史民俗博物(8)花房駿「漫遊日記J(『史料京都見聞記J巻3法蔵館平成3年372〜389頁)(9) 田島達也「岸派の序列」(「岸派とその系譜」展図録栗東歴史民俗博物館平成的な内容となったことは否めない。しかし,この時期の絵画状況を明らかにする上で,作品以外の資料が役に立つことは確かであり,また,享受者と制作者の関係も現在の美術制作の状況と違ったであろうから当時の享受者側の立場を明らかにする資料も把握しておかなければならないと考える。従来行われてきた優れた美術作品に対する考察も必要であるが,一方,現在の価値観では忘れ去られつつある作品や流派にも光を当てることによって当時の一般の人々が持っていた絵画に対する認識の一片を明らかにできることにつながれば幸いで、ある。「岸駒の岸矩時代J(『角屋研究』第3号財団法人角屋保存会平成5年3〜10 頁)による。平成10年17〜19頁)142〜143頁後者は小久保啓一「岸派絵画資料の調査J(『鹿島美術研究』年報第16号別冊417〜447頁)にまとめられている。館平成8年5〜8頁)による。による。8年72〜74頁)に詳しい。同個人所蔵。山寄賓氏(元高井鴻山記念館館長)・久保田一洋氏による翻刻がなされているが,現在のところ未刊行である。-234-

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