鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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(3)『随想帖』紙本墨画折本装l冊全10図風景模様5図個人蔵(4)『冬春模様帖』紙本墨画巻子装1巻全14図風景模様4図『富本憲吉全奥書「富本憲吉(印)一枝(印)大正七年六月於大和園安堵村j。奥にサインと「1918Jの年紀大正7年6月に神田・流逸荘で「富本憲吉夫妻陶器展」が開催されているので,恐らくその時の出品作品を図巻にしたものであろう。風景模様は「皿耕作」,「陶板掛絵家j,「白磁彫線雲」皿「飾壷立木jの4図がみえる。「陶板掛絵家」は大正4年に新築した自宅の斜めからみた景観であり,『富本憲吉模様集』第l冊29乙では「大和国安堵村東安堵」と名付けている。また,大正7年8月の奥書のある『陶器帖』の「陶器工場前面jもこの系統に属する。更に視角を変えて側面からみた模様は「大和国安堵村陶窯」と記した大正12年の水墨画(奈良県立美術館蔵)や,下辺に同名を記した陶板があり(個人蔵),同年制作の『安堵村八景Jは「陶器焼成jと記し,翌年の『異本安堵村八景』は左端に棒積藁を加えて「陶窯」と称している。(2)『間器帖J紙本墨画折本装1冊全12図風景模様5図『富本憲吉全集』に収録個人蔵奥書「富本憲吉(印)於大和国安堵村大正七年八月」風景模様は「わら屋根と瓦屋根j,「八角皿釣魚、J,「月と小屋」,「陶器工場前面」,「安堵村陶窯之図」の5図。同模様の陶磁器が残る釣魚、図の八角皿以外は風景として描き,陶磁器の模様とはしていない。「安堵村陶窯之図」は自宅の窯のみを側面から描いたもので,前述の「大和国安堵村東安堵」ゃ「大和国安堵村陶窯」とは異なる。奥書「富本憲吉(印)千九百弐十年夏」草花・野菜模様と風景模様を交互に描き,各模様の聞に問工としての随想を記す。風景模様は「葡萄樹と納屋」,「小さき穀倉」,「おどしあみと稲苗j,「井戸j,「丘による小屋Jの5図。いずれも風景として描き,陶磁器の模様としては描いていない。集』に収録個人蔵奥書「千九百弐拾壱年冬春模様帖より富本憲吉(印)大和国安堵村六月三十日j風景模様は「河心J角皿,「砂丘と藁塚」皿,「柳J皿(付表「柳jB),「観音堂」皿の4図で,いずれも皿の模様とする。河心は同景観で「濁楽幽棲之地大正拾夏日」と墨書した水墨画(富本憲吉記念館)もある。241

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