(半ば朽ちたる堆肥舎)の5図を収録,各々の道に関した所感の詩を記すが図の題名は記していない(各国の題名は『富本憲吉模様集』による)。『大和風景絵巻』(京都国立近代美術館蔵,1925年)も同内容。同『陶器模様図巻』紙本墨画巻子装l巻全7図風景模様3図『富本憲吉全集』に収録個人蔵。奥書「千九百弐拾五年五月富本憲吉(印)大和安堵村J風景模様は,接木されたる梨樹皿,寂しき辻堂(付表「寂しき辻道JB)壷,小堂と径査の3図を収録。各々に図とは直接関係のない陶器に関する随想を記す(各図の題名は『富本憲吉模様集』による)。同『染問拾種』紙本墨画巻子装1巻全10図風景模様3図『富本憲吉全集』に収録個人蔵奥書「染附拾種千九百弐拾五年九月雨の日富本憲吉(印)大和安堵村にて」「小壷」小堂(「水落山遠望j部分),皿「薄暮」(「南大門遠望」),皿「湖中小景」の風景模様3図を収録。III.『富本憲吉模様集』と『富本憲吉岡器集』『富本憲吉模様集』は安堵時代の富本憲吉の模様192図を集大成したもので,富本の原図を写真家野島康三が撮影,コロタイプ印刷したものを全て大判の台紙に貼附し,予め購入者を募り,自身のものを含めて20部限定で白刊した。その原図も多少の欠落はあるが個人に所蔵されている。3冊からなり,第1冊から順次購入者に発送し,受け取る時期は人によってかなり違っていた。この模様集刊行の計画は大正10年(1921)秋頃に始まり,当初は100図程度を収録して書店から通常の出版を考えていたようである。しかし,その後野島からのアドバイスがあったようで,結局現在の形になった(注8)。管見では現在3部の存在が知られ,本稿では個人蔵の2部で校合した。内容をその『付録』に記した序文と,野島康三宛の富本憲吉書簡によって整理すると次のようになろう。第一冊…大正2年(1913)(野島宛書簡では明治45年)から大正8年(1919)夏までに制作した模様72図を,第1番から50番まで台紙に貼附,大正12年(1923)9 月までに予約購入者に配布開始。第二冊…大正8年(1919)夏から大正10年(1921)秋までの聞に制作の模様70図を,第51番から第108番の台紙に貼附,大正15年(1926)5月までに予約購入者に244-
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