鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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(8) 野島康三宛富本憲吉書簡。本書の刊行に関する内容が数多く見られる。(3) 各本の説明で記すように,これらのいくつかは近年刊行の『富本憲吉全集I大和(4) 明治44年6月14日の南薫造宛富本憲吉書簡(奈良県立美術館編『南薫造宛富本憲(5) 「中皿雲彫様」と記した水墨画(軸装個人蔵)に「かつて約三十年前この形の(6) 奈良県立美術館編『南薫造宛富本憲吉書簡J。(7) 大正12年正月3日付で富本が野島康三に宛てた封械ハガキ(個人蔵,渋谷区立松(9) 収録模様数は同じ192点であるが,30番甲の「葡萄と羽虫」に代わって本書には(11) 富本憲吉『富本憲吉模様撰集』(昭和32年9月15日中央公論美術出版)。烈かっ多彩な天賦の才が感じられる」と述べている(バーナード・リーチ著,福田陸太郎訳『東と西を越えて』(昭和57年1月日本経済新聞社)所収「富本憲吉J)。時代』(1995年3月20日小学館)に収録しているが,なお未刊のものも少なくなし、。古書簡』平成11年3月31日)に,「僕は此の頃何むにもせずに木版ばかり。それと云ふのは近頃水彩で、ゃるより木版の方が良い様に思はれる。最近のもの御覧に入れる。此れは版を用ふる皿。風景を木版にやった処女作。Souskensingtonにある仏人のやったヒツジの木版が眼にちらついてやって見たくて仕方が無いのでやった」とみえる。木版画をはじめとして当時の富本憲吉の活動については,拙稿「南薫造宛富本憲古書簡について」(奈良県立美術館編『南薫造宛富本憲吉書簡』)に記した。雲わが村の西方信貴山頂に浮べるを見て写したるを記臆す」とみえる。j喜美術館保管)に「朝鮮絵巻は素描が未だ越後より蹄らず,かへり次第かいて御送りしますJとみえ,越後(の某家に)預けていたものが本図巻である。「菊jが入っている。。。例えば,富本憲吉「陶器の模様J(『短歌研究』4巻9号昭和10年9月),富本憲吉『高山帳J(未刊,昭和20年10月16日記,個人蔵)などに記している。同(11)参照。同富本憲吉「窯辺雑記」(『アトリエ』大正13年6月所載)。(叫山本茂雄「最近入手の富本書簡三題」(『あざみJ6号1998年11月1日富本憲吉研究会)同大正2年11月6日付南薫造宛富本憲古書簡。拙稿「南薫造宛富本憲吉書簡につ一一250-

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