鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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注(2) 篠遠喜彦,荒俣宏『楽園考古学J,平凡社,1994年,272-273頁(3) Wは,ジョルジュ・ウイルデンスタイン編纂の『ゴーガン作品総目録.l(Georges (1) 本稿では「タヒチ」を広義のタヒチ,すなわちソサエテイ諸島全体を指す言葉と4と図5)を融合,発展させたかのようであり,このテーマの構図を換骨奪胎しようとする意図が感じられる。その意味で,通俗的と一蹴するには障措われる作品である。むろん,ここに挙げた20世紀のタヒチ画家たちは,実にさまざまな主題,構図の作品を残している。にもかかわらず,誰もが(ただしルモワンについては推論の域を出ていないが)一度はほとんど意識的に上記のゴーガン構図に取り組んで、きたことを,ここで強調しておきたい。20世紀の間,それはタヒチ女性を表現する一種の雛型であり続けたといってよいのではないか。P・ブルックスは,マネの〈オランピア〉の裸婦とゴーガンのタヒチ女性の裸婦とを比較して,興味深い示唆をしている(注17)。前者が,罪の意識を内包した,金銭で所有できる裸体,すなわち通常の経済活動で交換できる裸体であるのに対し,後者は,罪の意味合いを帯びず,所有は可能だが金銭で交換はできない裸体であり,それは通常の経済活動外で営まれる,M・モースが言うところの贈与経済(ポトラッチ)を思わせる。その返礼としてゴーガンから送られた贈答あるいは富が,彼の作品であると言えるかもしれない,というのである。だが,正確に言うなら,タヒチが受け取ったものはゴーガン作品だけではなかった。作品を通じて見る者に汲み取られ,やがてハリウッドの南洋映画に組み込まれ,世界的規模にまで増幅,拡散されたタヒチやタヒチ女性のイメージをも「贈られる」結果となった。また,ゴーガン以後,彼に心酔したにせよ反発したにせよ,多くの芸術家がタヒチで制作してきたことも,ゴーガンによる「贈り物」と考えられよう。展覧会批評,映画,タヒチ画家たちの作品をさらに仔細に検討し,ゴーガンのタヒチ作品がもっどのような側面がとりあげられ強調されたのか,また,どのような側面がとりあげられなかったのかを議論することが今後のゴーガン研究には肝要と思われる。して用いている。4 おわりに16

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