鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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⑫ 日本美術における絵画と文字の関わりについて研究者:サントリー美術館学芸員三戸信恵はじめに東アジアの平面芸術における書と画の関わりについては,古来よりさまざまなレベルで論じられてきた。その論点としては,まず,いわゆる「書画一致論J(「書画同源ける実際的な問題だけでなく,一種の芸術観的な問題にまで及んでおり,両者の関連が直接的なものから間接的なものまで多岐にわたっていたことが分かる。それら諸議論の前提として,文字と絵画とが,ともに何らかの意味内容を担った視覚的表象でありながら,同時に本質的には異なるものであるという認識が存在していることは言うまでもない。しかしより重要なのは,たとえば絵画が鑑賞画として成立した後も,落款だけでなく題政や賛などのかたちで文字が画面内に書かれ続けてきたように,異質であるはずの両者が,それぞれに独立した範曙を形成してからもなお同一空間内に共存しうる関係を保ち続けてきたことであり,筆法や制作者の内面においてのみならず,平面空間上でも一種の緊張関係を苧んできたことが,両者を同ーの祖上に載せる際の一つの足場になっていたと考えられる。日本美術においても,落款や賛から,葦手,料紙装飾,絵巻の画中詞に至るまで,文字と絵画はさまざまなかたちで共存を果たしており,それぞれの形式が成立し,継承され,あるいは変化を遂げてゆく中で,両者の問には常に平面空間上での緊張関係が生じていたと思われる。そのありょうを読み解こうとするのが本研究の試みである。当然ながら,各々の形式の固有性を無視してひとまとめに論じることはできない。しかし,それぞれに対して意味や内容を媒介とした内的な連関を見出すことが可能であるように,平面空間上に表象された造形としての外的な連関に対して一つの図式を想定し,各々の形式に適応させながら切り込んでゆくことはできるのではないだろうか。島田修二郎は中国美術における画と題肢の問題に触れ,清初になると元時代までは存在していた書画の聞の「見えない垣」が取り払われた作品が登場すること,またその萌芽は既に明代後期に見出されることを指摘している(注1)。この現象を文字と絵画を含んだ画面全体の事象として捉えなおしてみると,「見えない垣」によって書画が論J)に見る,起源,素材,技法などの共通性が挙げられる。しかし,議論は制作にお259

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