隔てられているということは,一平面の中に領域としての絵画空間と書記空間とが意識されていると考えられ,その意識の変化が「画と題肢の書とが互いに掩い合う傾向」として現れたものと理解される。このように,文字と絵画との関係を,絵を描き,文字を書く空間を提供する背地を含めた三者の関係として図式化するかたちで探り,両者の関わりの特質を説明付けようとするのが本研究の目標である。今回は特に絵画作品中に書き込まれた文字の問題についての報告を行いたい。1 絵画空間内への文字の取り込み絵画空間内に取り込まれている文字は11世紀の作例に見出すことができる。「聖徳太子絵伝」(東京国立博物館蔵)では太子の事績と建造物の名称を記した題銘が,「仏浬繋図(応徳浬繋図)」(金剛峯寺蔵)では釈迦の弟子や諸天の名称、を記した牌字が,ともに矩形の輪郭によって象られた色紙形の内部に表されており,絵画の上に直接色紙形を貼り込むように,輪郭線と彩色によって異質化された区画を絵画空間内に設けることで書記空間を保障していることが分かる(注2)。異質化させることによって絵画空間に文字を取り込む手法は「金光明最勝王経金字宝塔憂茶羅J(中尊寺蔵)をはじめとする一連の金字宝塔蔓茶羅にも見られる。これらには,色紙形の書記空間に書かれた題辞とともに,画面中央には宝塔を象るように経文の文字が書き連ねられている。つまり,一方では絵画空間の一部を書記空間として異質化させ,他方では文字そのものを擬態というかたちで異質化させているのである。後者においては,文字のための純粋な書記空間の保障は放棄されているが,書記空聞が絵画空間に同化したわけではなく,透明化した書記空間が絵画空間の上に重ねられていると言える。また,透明度に差はあるものの,この擬態という手続きによって文字を取り込む例として,藤原伊行筆「葦手和漢朗詠抄」(京都国立博物館蔵),「平家納経・薬王菩薩本事品第23見返し絵」(厳島神社蔵)などに見られる葦手や隠し文字を挙げることができる(注3)。色紙形ないしは短冊形による書記空間の設定は鎌倉時代以降も引き続き行われている。「華厳五十五所絵巻J(東大寺ほか蔵)などの例はあるものの,その使用範囲は障扉画などの大画面や掛軸が中心であったと考えて良いだろう。たしかに,襖や扉風に色紙形を貼り込む伝統が継承された,あるいは,たとえば山水扉風や人麿像などのように,特定の主題などと結び付いて色紙形の使用が形式化された,といった側面を看260
元のページ ../index.html#271