鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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水面,すやり霞状の雲震が表された部分であり,少なくとも人物や建造物,景物はできる限り避けられている。言い換えれば,土坂,水景,雲霞という面的な広がりを有するモティーフが便宜的に書記空間として見なされているのである。同じく余白という書記空間と便宜的な書記空間とを併用するのが「手大納言絵巻」(福岡市美術館蔵)である。画中人物の台調として語られる詞は余白の他に吹抜屋台として描かれた建造物の描写部分に重ね書きされており,ここでは建造物が便宜的な書記空間として扱われていることが分かる。しかも,縁を含む建造物内部に位置する詞が全て頭が左下がりになるように散らし書きされており,それが柱や梁などの建造物の構造材がかたちづくる水平面の軸線に対応している。この散らしの形式は「中宮物語絵巻」(個人蔵)などの画中詞を伴う室町期の作例に継承されている。「中宮物語絵巻jでも構造材や畳の縁などに沿って左下がりに散らされるのみならず,障子や柱の中にも書き込まれているが,それらは障子絵や柱の形状に呼応するかたちで散らされており,文字ではなく書記空間に擬態の現象が見出される。また,「福富草紙絵巻」(巻上,春浦院蔵)においても余白と便宜的な書記空間との併用が見られる。後者の場合,腰付明障子などの建具から網代垣にいたるまで,建造物の中でも壁面をなす部分の各所が書記空間となっているが,画面上方の人物の台詞を書き込むために雲霞によって作られた区画を利用していることも指摘できる。絵巻以外の画面形式,特に掛軸における書記空間についてもふれておきたい。縦長の画面からなる掛軸の場合,色紙形であるにせよ余白であるにせよ,賛は画面上方に位置するのが通例である。従って,たとえば着賛が想定される肖像画や詩画軸では上方に大きく余白をあけた上で画面を構成する必要があるように,絵を描く際には,そこに描かれるべき題材や注文主を含めた受容側の要請によって規定される場の論理が働くことになる。一方,文字を書き込む側もまた,絵画によって整えられた空間を利用すると同時に,絵画と同じく場の論理に従っていると考えられる。かと言って,着賛がなされた全ての掛軸の上方は余白として残されているわけではない。一山一寧賛の「松下達磨図」(東京国立博物館蔵)では画面上方をほぼ松樹が,その下方は湧雲形の雲震が占めており,具体的な描写のない部分は達磨の向かつて右側上方にしか残されていないが,賛者はまさに残された領域を使って着賛を行ってい3 画面内の書記空間-263-

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