鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
275/763

る。一方,約翁徳倹賛の「白衣観音図」(奈良国立博物館蔵)のように,本紙の枠内に余白らしい余白が残されていない場合もある。本図においては,観音の向きと同じ向かつて左側の上方から右斜め下に向かつて連弧線を描いた雲震を配し,右上方は竹葉で埋められているのに対し,賛者は雲震の上方に残された無描写の部分と雲霞の両者を跨いで、書き込んで、いる。つまり,少なくとも賛者はここを便宜上の書記空間とみなしていることになるだろう。そこには先に挙げた「華厳宗祖師絵伝jにも通じる感覚が見出される。余白と自然景モティーフを書記空間として扱う例は後代にも認められる。健仲清勇の賛がある明兆「白衣観音図」(東京国立博物館蔵)では,淡墨の帯によって縁取られた雲霞が画面上方を被うことで描写部分が遮られており,賛はややはみ出し気味ながらも雲霞によって指定された空間を目標にして右寄りに書き込まれている。はみ出した部分は岩面に相当するとは言え無描写のままで残されており,賛者はそこもさらに便宜的な書記空間とみなしたものと考えられる。また,本図のように画面上端付近を雲震で被う例としては,明兆の弟子とされる赤脚子の「百衣観音図J(根津美術館蔵)が挙げられる。これらの雲霞は淡墨の縁取りによって明確に縁取られており,顔輝「蝦暮・鉄拐図J(東京国立博物館蔵)をモデルにしたと考えられる「鉄拐図」(三幅のうち,東福寺蔵)において,顔輝画では厚みのある大気として表現されていた雲霞を,縁取りによってのみ表現される平面的な雲霞に描いたのと同じ表現がなされていることが分かる。雲霞によって絵画部分を遮る手法は芸阿弥「観海図」(月翁周鏡・蘭披景苗・横川景三賛,根津美術館蔵)にも見られる。ここではやや漆ませるようにして外隈状に掃かれた淡墨によって雲霞を象っており,勢いを増す渓流が示す斜めの方向に合わせて雲震を配しながら同時にそれによって描写部分を括っている。また,画面上方に対しては,雲霞自身をフェイドアウトさせるようにして書記空間の余白へと移行させているのである。同じく横川景三の賛がある狩野元信「瀧山水図」(長林寺蔵)でも,淡墨の外隈によって表された雲震が主山を回り込むようにして斜めに伸びて景を遮る一方,画面上方に向かつては外隈の墨を淡くすることでフェイドアウトに近い表現をとっている(注7)。賛者の方は,具体的な描写のない画面上端付近だけでなく,雲霞に相当する部分も含めて書記空間と見なしていることがその書き込み状況から理解される。264

元のページ  ../index.html#275

このブックを見る