〉王(1) 島田修二郎「詩書画三絶J『中国絵画史研究j中央公論美術出版,1993年,初出は(2) 「応徳浬襲図jの場合,画面右下方に記された銘文だけは全く区画が設けられて掛軸においても,雲霞や岩などの面的な広がりを持った自然景モティーフを余白と合わせて書記空間として扱っており,その点では絵巻における画中詞の処理と共通する傾向を見出すことができる。それが,各々の絵画世界や「場の論理」のような画面形式上の要請に応じて形を変えてゆくのであるが,ここで扇面画の例も挙げておきたい。「扇面画帖」(奈良国立博物館蔵)60面のうち,水墨山水を描いた雪嶺永謹賛の扇面では遠山上方の無描写部分と遠山の一部,常庵龍崇賛の扇面では雲震と水景,および土坂の一部が,宇治川を描いた蘭坂景置の扇面では広く画面をしめる金雲がそれぞれ書記空間として扱われており,扇面に対する書面空間の理解に関しても同様の傾向が見られることが指摘できる。おわりに以上,三つの画面形式を核にして,大まかに時代を辿りながら絵画空間と書記空間との関係を追ってきた。今回は,ここでとり上げなかった作品も含め,平安時代から室町時代までの絵画作品を広く見渡しながら,平面空間という視点から見た絵画と文字との関係がどのように図式化できるのかを探り,時代的な傾向と各々の画面形式の特徴を関連づけるかたちでまとめている。基本的には,書記空間の設定において一つの方式が成立した場合は後の時代も継承されると考えられるため,この報告ではそれぞれの方式に関しては成立の確認のみを行うに留めた。これは個々の図式そのものを明確化するためでもあり,たとえばlと3で行った図式をあてはめれば,図様が党字で構成され,上方には着賛がなされた良寅「党字書文殊菩薩図J(静嘉堂文庫美術館蔵)に関する説明がより簡単に行うことができるように,図式を整理し,さらに応用することで,後代の作品を論じることが可能になるものと思われる。おらず,描かれた人物の着衣と殆ど距離を置かずに書き込まれている。なぜこのような差違が生じているのかについては,題名であれ牌字であれ,色紙形に書き込まれた内容が絵画世界内に属するものであるのに対して,年紀を記した銘文は1956年-265-
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