(8) 若杉準治『女房三十六人歌合』ふたば書房,1990年(9)岩田美穂「清原雪信筆「源氏物語画帖について」」『金焼叢書J第23輯徳川繁明(19) 落款字形の近似と同ーの印章の使用が見られる。会,1996年帥『武江年表』から,『古画備考』記載の没年は天和を天保と誤記したとも解される。制尼崎藩家中に平野氏は実在したが,雪信との関係を示す資料は確認できない。同冷泉為人監修,岡佳子・岩間香編『寛永文化のネットワーク『隔糞記』の世界−』思文閤出版,1998年など岡本稿にとりあげた落款以外に,草書体の落款を持つ作品が存在するが,雪信作品と判断しがたい作品も含まれている。同前掲注(8)同「覚書」前掲注(8)掲載図版による。寛文十一年十一月三日御霊様より御摂家御門跡方其外公家衆三十六人ノ筆女歌仙絵謹’筆井御菓子槍重一与御拝領事,お梅殿おかの殿より文添松村中山迄参候『徳川実紀』第五編寛文10年2月2日条(『国史大系J第42巻所収入(前略)又,京を始め方々に大奥よりつかはさる、消息,これ迄は近江局のみ奉りしが,この後は岡野,矢島両局の名をしるすべし,すべて後閣の事は梅,岡野,矢島,川崎四人にでっかさどるべき旨伝えらる,同岡佳子「もうひとつの寛永文化論武家と道具の関係」『京都歴史資料館紀要』同前掲論文注(3)〜(5),前掲書注(8)同秋山光和「狩野探幽筆源氏物語図」図版解説『皇室の至宝2御物絵画IIj毎日新聞社,1991年など側前掲論文注(9)にも指摘がある。凶大岡春卜『画本手鑑』,月岡雪鼎『金玉画府』など。オ領伊賀衆友野次右衛門御小人七人参候付,同三日小頭次右衛門銀子二枚,御小人壱部十切被下候事第11号,1994年-275-
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