鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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一つをなすのは,ユリウス・マイヤ一二グレーフェ(1867-1935)が1905年に刊行した『ベックリンの場合と統一の理論(DerFall Bocklin und die Lehre von den Einheiten)』であろう。マイヤー=グレーフェがこの本を書く際に倣ったのは,題名が示すように,ニーチェの1888年刊行の『ヴァーグナーの場合(DerFall Wagner)』であったにちがいない。ニーチェはこの著書でデカダンスを内包するヴァーグナーの音楽とそれを賞揚するドイツ精神の問題を取りあげたが,その論調を受け継いだマイヤー=グレーフェはドイツにおけるベックリンの賞揚を非難し,『ベックリンの場合』の終章「ドイツの場合」を「ベックリンの場合[状況]はドイツの場合[状況]だ(DerFall Bりcklinist der Fall Deutschland) Jという言葉でしめくくっている(注4)。しかし,マイヤー=グレーフェは,ベックリンを非難したとは言え,一冊の著書を出版することでこの画家の存在を浮き彫りにしたはずであり,ここにニーチェとベツクリンとデ・キリコを結ぶ接点が見いだせるのである。ちなみに,マイヤー=グレーフェが編集者を務めていた1895年創刊の文芸雑誌『パン』もまた,創刊から終刊にいたるまで,ニーチェの著述や彼に関する資料を数多く掲載した。マイヤー=グレーフェがほどなくその任を解かれたのち,『パン』が大きく注目したのがベックリンであり,全21号のうち12号にこの画家の作品や資料が掲載されたのである(注5)。ところで,ベックリンとデ・キリコの双方が描いたモティーフにプロメテウス〔図5, 6〕があるOニーチェもまた『悲劇の誕生』の扉絵に〈解放されたプロメテウス〉を採用しただけでなく,『悦ばしき知識』では,プロメテウスについて,「自分が光を渇望したことによって光を創造したのだということを人間だけでなく神もまた自分の手になる作品であり自分の手の中の粘土だ、ったのだということを,発見するようになったのではないか?(注6)」と述べた。『ツァラトゥストラ』で神を人間の創造物と見たニーチェは,『悦ばしき知識Jにおいて,人間を粘土からっくり,神から火を盗んで人間に与えたプロメテウスを,神をも創造する芸術家として示す。こうして,自らを価値の転倒者と呼ぶニーチェは神や世界の破壊者かつ創造者としての恐るべき芸術家像を提唱することで,20世紀初頭の芸術家たちに大きな影響を及ぼした。また,このニーチェの言説は,デ・キリコがプロメテウスをあたかも山の頂きから彫りだしたように描いたこととも関連づけられよう。デ・キリコは「ある画家の膜想」で,未来の絵画の目的に「人間それ自体を“もの”として見ること」を挙げ,それを「ニーチェの方法Jと呼んだ(注7)。それは,人間を彫塑とみなすネオ・プラトニズ、ム的な-280-

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