(Tiefe)」は,ニーチェが『ツアラトゥストラ』や『この人を見よ』でたびたび用いたニーチェの発想、法を指しているのだろう。例えば,ニーチェは『悲劇の誕生』で,「人間はもはや芸術家ではない。彼は芸術作品になってしまったのだ。[…]最も高貴な粘土がここでこねられ,最も高価な大理石がここで彫刻される。人間だ(注8)Jと述べている。プロメテウスのほかに人間のメタファーとしてニーチェカ吋吏ったのは,アリアドネーであった。その彫像を,デ・キリコもまた1912年以降の作品に繰り返し描きこんだ。ニーチェは『この人を見よ』で,「わたしのほかに誰が知ろう,アリアドネが何であるかを!」と叫び,その謎を「いままで誰一人解いた者がなかった」と語る(注9)。デ・キリコはアリアドネーを描くことで,その謎をニーチェと共有するのである。さらにニーチェは『善悪の彼岸Jで,アリアドネーを語るデイオニュソスの台詞として,「事情によっては,わしも人間を愛する[…]。この動物は,いかなる迷宮に入りこんでもなお自分の行く道を見つけだす。わしは彼に好意を寄せている。わしはしばしば,いかにして彼をこの上さらに前進させうるか,いかにして彼を現在あるより以上に強く,悪く,深くすることができるかを,思いめぐらしているのだ(注目)」と述べる。つまり,ニーチェはデイオニュソスという神の口を借りて,アリアドネーに象徴される人聞が未完成で,さらにっくりあげてゆくべきものだと言う。彼は『この人を見よ』でもこれと似た言い回しを使い,「人間とは,ツァラトゥストラにとっては,ひとつの崎形物であり,素材であり,彫刻家を求めている一個の醜い石(注目)Jだと述べた。ニーチェのこの言説は,デ・キリコの描くアリアドネーが刻々と変化していった過程を想起させる。彼が最初に描いたアリアドネーは石の塊のようなものであって〔図7〕,それが次に,サロモン・ライナッハの『ギリシア・ローマ彫刻目録』(注12)に見られるような典型的な彫像となった〔図8〕。そしてさらには,キュピスムの手法を援用した新しい姿へと変化してゆく〔図9〕。このプロセスは,ニーチェが語った人間の形成過程の絵画化であるのかもしれない。ニーチェ的絵画の発見デ・キリコは,友人フリッツ・ガルツに宛てた1910年1月26日付の手紙で,その前年の夏に描いた絵を「恐ろしい」,「深い」と形容し,自らと同じ深さをもっ者としてベックリンとニーチェの名を挙げた。ここで繰り返される「深い(tief)Jや「深さ-281-
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