鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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さJを小さな品会に描こうとi式みたのであろう。たちの目の前で飛躍する論理が露呈する。しかし,より鋭敏で、より深く,その仕方,すぐれた仕方に矛盾しない精神が問題になると,傍観者たちは性格の存在を否定する」を引用し,それを芸術の話に置き換えてこう解説している。深い絵には,群衆の視線を引きつけ,芸術家の名を引き立たせるあの盛んな身振りゃあの理想主義がまったくない。あらゆる塵撃する顔面,あらゆるわざとらしい動きがわきに追いやられる。静けさ,安らぎ,まさに穏やかさ,しかしその穏やかさのなかには,永遠の嘆きのなかと同様に,現在までに知られているあらゆる「パトスJが凝縮されているのである。人々が知っていたあらゆる偉大さ,あらゆる崇高さ,彼らの希望と疑念,彼らの歓喜と苦悩,友情と愛情が彼らの音楽をもつれさせる。しかしそれから,そのような芸術作品の真の価値をつくるであろうもの,それが新しい歌なのであろう(注20)。ここでデ・キリコは自らの転換の根拠を要約したが,それはロマン主義の克服とも換言できょう。ニーチェを理解することで,デ・キリコの構図は,最後のロマン主義の画家とも言うべきベックリンの荒々しくダイナミックなものから静かで建築的なものへと変化した。そのとき,ミケランジエロを「愚かな芸術家」と呼んだデ・キリコは,美術史におけるロマン主義の原点をミケランジエロに見ていたのかもしれない。ニーチェの場合,ロマン主義の克服はヴァーグナーに対する見解の変化に表れている。デ・キリコが使った「盛んな身ぶり」という言葉で,すでにニーチェは愛してやまなかったヴァーグナーを榔撤していたのである(注21)。また,先に述べたように,デ・キリコは自らの絵を「恐ろしい(furchtbar)Jという言葉でも形容したが,「恐ろしさ(terribilita)」という言葉は,ヴァザーリがミケランジエロの〈最後の審判〉を形容するのに用いたものである(注22)。ヴァザーリはその文脈で,ミケランジエロが用いた「たいへん称賛すべき短縮法」に言及したが(注23)'その言説はデ・キリコが〈ある秋の午後の謎〉以降没頭してゆく極端な「透視画法」を想起させる。デ・キリコはそうした言い回しの伝統をふまえつつ,その「恐ろしさ」の彼なりの表現方法として,ミケランジエロの対極にある「静けさ,安らぎ,穏やかでは,そうした「静けさ,安らぎ,穏やかさJの造形言語となった演劇的な空間は,-284-

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