⑫ 日本近代文学における「美術J記述について2 「美術」の登場一一現代美術の文脈からみた近代日本人の美術観一一研究者:川崎市市民ミュージアム学芸員杉田真珠1 はじめに明治21年(1888)『漢英対照いろは辞典Jにおいてはじめて「美術jという語が辞書に表れた(注1)。言葉が一般に使用されだしてから,人々の聞に意味が認知され辞書に出るまでの間「美術jはどのような意味の変遷を辿ってきたのであろうか。その聞の「美術j観を追うことは,日本の近代化の過程において美術を考える際の重要な側面であると考える。執筆者は大きく3つの段階からこのことを考察する計画である。一つは,文学作品の中から「美術jについての記述を取り上げ,その中での「美術」観を検証する。二つめは,「美術」に関する記述を分類し,「美術j記述の扱われ方を文学作品の読者層,数とともに調査しながら考察する。三つめに,作家各人の「美術」あるいは「美術家」との関わり,同時代に発表された美術作品や展覧会の調査,美術雑誌や画集など一般に見ることができた「美術」の調査を通じ,近代と呼ばれる時代に生きた日本人の「美術j観を考察する。今回,鹿島美術財団から助成を受け調査するのは,この第一の段階である。「美術jという語が公の文書にはじめて登場するのは,明治5年(1872)1月に発表されたウィーン万国博覧会の出品分類の中である(注2)。ウィーン万国博覧会は翌年の明治6年(1873)5月1日から開催されるが,そのl年半前に「美術jという語が表れた。北津憲昭氏は,この出品分類に表れた「美術jはドイツ語からの訳語である可能性を指摘している。また,「美術」の意味が現在われわれが使っている意味とは少し異なり,むしろ現在の「芸術Jという語に近い広い意味で使われていたことも指摘している(注3)。惣郷正明・飛田良文編『明治のことば辞典』(注4)にあるようにfine artの訳語であれ,北津氏のいうSchonenKtinsteの訳語であれ,明治5年(1872)1月には「美術」という語が使われはじめることになる。「美術jという語が公に使われだしてから,「美術」という語が文学作品に登場するまでには少し時聞がかかる。一般に人々が言葉を使い始めてから文学作品に登場す-289-
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