〜1944)によって『新体詩抄初編』が刊行される。「新体詩」という新しい言葉を使たH.スペンサーの『社曾皐の原理Jの序文として書かれたものである。〉山仙士其護達ハ如何なるぞ杜曾の種類知何なるや利害の異同如何なるや女子に子供の有様や種々な政府の違ひやら僧侶社曾のある故や儀式工業園言葉時と場所との異同にて其有様を詳細に長き文にぞ、せらるべき既に出でたる一巻をの同年8月に,外山正一(1848〜1900),矢田部良吉(1851〜1899),井上哲次郎(1855い,それまでの和歌や漢詩と異なる西洋の詩,「ポエトリー」(注9)を表した。収録されているのは主に長編の叙事詩であり,以後,北村透谷「楚囚之詩J(1890年)など創作新体詩に長編叙事詩が続く契機となる。『新体詩抄初編』にはシェークスピアらの詩十三編の翻訳と創作詩が六編収められている。この中の〉山(ちゅざん)と号する外山正一創作の詩「社曾撃の原理に題す」は,明治15年(1882)に翻訳出版され杜曾皐の原理に題す.(略)…そも社舎とハ何ものぞ其結構に作用に種族と親と其子等の男女の中の交際や取扱の異同やら違ひの起る源因や其饗遷の源因や智識美術や道徳の遷り愛りて化醇する論述なして三巻の最とも目出度き美皐にこそ.(略)ここで,「儀式」「工業」「国言葉J「智識」「道徳」と並べられた「美術Jは何を意味するのであろうか。時代や場所により変遷するものの例としてあげられているところから,「美術jは何かの総称として使われていると推測する。総称として,広い意味をもっ言葉としての「美術jは,単に視覚芸術のみを指す言葉ではなく,詩なども含めた広い意味であり現代で言う「芸術」に近い意味であったであろう。坪内遣遥(1859〜1935)は,それまで「小説」について書きためていたものを『小291
元のページ ../index.html#302