鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
32/763

の図形的総体を端から端まで一巡すること(parcourir)であり,また一編のテクストを解読する(dechiffrer)すること」である。先ず第一に,タブローとは視線の一覧(unparcours du regard)に外ならない。視線の一覧には三つの原則がある。一つは統一性の原則(空間的・場的な原則)であり,もう一つは継起・多様性の原則(時間的・動的な原則)である。つまり,タブローは,一瞥によって一つの全体として見られると同時に,この全体的な視像(vision)の内部で継起的に見られるのである。したがって,「タブローの視像の統一性は,眼の運動によって組織化されたひとつの全体性であり,様々な視線からなるひとつの構造であって,タブローとは,場に限定されながら同時に動的で、もある諸記号の総体によって造形的表面に目印をしるしていくことである」とされるのである。視線の一覧に関する考察から次の二つのことが導き出される。ひとつは,記号学的対象としての絵画とは,単なる美的客体ではなく,タブローとその読解の分離不可能な総体によって構成されている動的で質的な空間であるということだ。その場合,タブローは視線の一覧のマトリクスを形成するのであり,読解とは「およそ可能な一覧の連鎖しながら聞かれた一つの全体」として理解されねばならない。二つ目は,「読解の体系としてのタブローが視線の巡覧の不安定な自由のうちに,多様な段階にわたる拘束を含んでいる」ということである。確かに視線は思うがままにさまよう自由を保証されているが,同時にタブロー内の特権的な要素や方向を通じて,この自由は制限を受けるのだ。要するに,マランによれば,「タブローとは,内在的で組織的な首尾一貫性をもった総体,様々な拘束に支配された諸要素の総体でありながら,視線の自由な戯れと読解システムの諸要素の戯れを許容する体系jである。読む=読解という概念のもう一つの側面は,解読(dechiffr巴ment)もしくは解釈(interpretation)である。絵画の記号論は「解読/解釈」についてどのような態度をとるのだろうか。それを一言で言えば,言語学のモデルを採用し,言語学の解読/解釈の装置を絵画に適用するということになる。絵画の読解の理論が,連辞・範列・コード・デノテーション/コノテーション・固有名詞・指標的象徴・置換/圧縮/多元的決定・二重分節といったソシュール系の構造言語学の用語で構築されるのである。視線の一覧という概念から,タブローが「連鎖したあるいは結合された全体Jであるというイメージが導き出せるが,視線がこうした連続体の内に止まる限りは「意味」一21-

元のページ  ../index.html#32

このブックを見る