だが,技術的発展の模型が美術館で展示されることにより,純粋な技術的変化が美学的な変化と結びついて印象づけられ,ヨーロッパが最近まで長くかかってたと守った発展を,アメリカでは40年も前に達成していたのだという印象をみるものに与えたに違いない。この展覧会の開催を報じる新聞には,フイリップ・ジョンソンがこの模型と一緒に写っている写真が掲載されているものもあった〔図l〕。ジョンソンは左の方に立ち,「発展jの方向を見つめている。この写真は,プレス・リリースとともに各プレスに送られていた(注13)。「初期の近代建築」展の写真模型以外には写真が展示され,横にはパネルで簡単な解説がつけられた。写真の何点かは,ザイドマンという人物によって撮影された。また,「ChicagoArchitectural Pho-tographing Co.」という文字が入っているものもある。これらの写真は,建物の全体を写したごく普通の写真である。例えば,ル・コルピュジエは,自ら設計した建築の写真の中で,周囲の敷地部分を修正によって消したりしていることが指摘されているし(注14),マンフォードの『褐色砂岩の時代』に掲載されている図版は,周囲の背景を消すなどの修正がされているが〔図2〕,この展覧会に出品された写真にはそういった修正は特にない。しかし,この写真も,少し前の時期に図版として掲載されていた写真と比較すると,撮影アングルなど,展覧会の意図に合致したものであることがわかる。マンフォードの『木材と石材.I(1926年)には,サリヴァン設計のカーソン・ピリー・スコット百貨店の図版が掲載されている。それは,低層部のうねるような装飾のみを写した部分図である〔図3〕。建物の全体を写した図版は掲載されていない。アメリカ建築の通史であるこの本に掲載された図版は全部でわずか21点に過ぎず,一つの建物に複数の図版を掲載することは出来なかったのであろうが,この図版は,当時のマンフォードがサリヴァンを「装飾家Jとして評価していた態度がよく表れている(注15)。ところが同じマンフォードでもサリヴァンをインターナショナル・スタイルの先駆けとして高く評価した『褐色砂岩の時代』では通りの反対側から全体を斜めから写したものになっている〔図2〕。カメラの視点は地上よりも高く,5階あたりに位置している。それによって,インターナショナル・スタイルと共通の特徴とされる上層部の
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