鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
333/763

注(1) 「しかし,新様式が最初に約束され,大戦にいたるまでもっとも早く進んでいたの(2) Th巴Museumof Modern Art Archiv巴s,NY : Records of the D巴partm巴ntof Circulat-「初期の近代建築」展での展示では,トールマッジやギーデイオンが本のページの上でしたように,同時代の建物の写真と並べることまではしていない。だが,「近代建築」展に続いて「初期の近代建築」展を行い,両者の共通性を掘っている以上,展示室の空間に併置されていなくても,基本的な姿勢としては全く同じである。結論この小論でとりあげたのは,約70年前に行われた小さな無名の建築展である。シカゴ万博との同時開催,わかりやすい図式的な模型,「真を写すjと考えられている写真。こうした一見何の特徴もないように見える展示に入り込む隠れた意図を,本論では示そうとした。近年,美術館の運営方法や,どのような展示をすれば効果的かといった展示の方法に関する研究も増えてきている。だが,その一方で重要なのは,一見何の変哲もない企画,展示にi替む政治的な意味を明らかにすることではないだろうか。「初期の近代建築」展には,一般的な展示に今日もなお潜む政治性が凝縮されている。はアメリカであった。70年代および80年代におけるリチヤードソンは,デザインの単純化と構造の直接的表現において,ヨーロッパ大陸の次の世代と同じくらいの地点にまで進むことがしばしばあった。彼に続いてルートとサリヴァンは,後続の世代によって部分的には修正されたものの本質的な変更を受けなかったいくつかの原理を,鉄の摩天楼の構造から導き出した。80年代および90年代のシカゴにおける彼らの作品は,依然としてあまり知られていない。ヨーロッパの急進的な鉄とガラスの百貨店と比較しうるものは,アメリカには1900年のほんのわずかな商業建築しかない。しかしこれらの数少ない例はその後の20年間におけるすべての摩天楼よりも注目に値するのである。J,Henry-Russel Hitchcock and Philip Johnson, The International Style : Architecture since 1922, New York : W.W. Norton & Company, 1932; New York: W.W. Norton & Company, 1966, p. 41. (武津秀一訳『インターナショナル・スタイル』鹿島出版会SD選書,1978年,pp.33-34) 322

元のページ  ../index.html#333

このブックを見る