注(1) 米帝撰「西国雅集図記J(『宝晋英光集』補遺所載)による人物の比定にあたって(2) この画題の問題に関しては,すでにJ.ケーヒル氏の言及がある(「彰城百川の絵(3) 複製本『八種画譜.l(美乃美,1978年)による。(4) 『中国古代版画叢刊.l2編第7輯本(上海古籍出版社,1994年)による。(5) 京都文化博物館『京の五節句』展図録(2000年)より古郷彰二「重陽」を参照。(6) 『州鹿集j『洪園文集』ともに『詩集日本漢詩』第6巻(汲古書院,1986年)所人画」と称する,18世紀前半におこったとされる画壇の動きも,そのような広い視野の中におくことによって相対的に性格が映し出されるのではないだろうか。は,次の文献を参照した。福本雅一「西園雅集図をめぐって(上・下)」『学叢』12・13,1990・1991年。板倉聖哲「中国風俗画における遊宴の図像についての研究馬遠「西国雅集図巻」(ネルソン・アトキンズ美術館)をめぐって−J『鹿島美術研究』年報第15号別冊,1998年。画様式(ー)J P. 16,『美術史.l93〜96合併号,1976年)。氏は,全体の主題が蘭亭であるという前提のもとに,左隻には「西国雅集」を描いて右隻の蘭亭の図に連続させているとし,それを「特に重大な誤りではない」としながらも「間違った中国のアイコノグラフィjと判断している。収の影印本による。引用した各書の刊年は,佐野正巳氏の解題によれば,ほほ以下のとおり。『州庫集』初編一享和元年(1801)の後印本。初印本は宝暦4年(1754)刊。同三編享和2年の補刻版。初印本は明和5年(1778)干lj。同四編享和2年の補刻版。初版は安永3年(1774)頃刊。同五編一享和2年の補刻版。初印本の刊年は不明。いずれも内閣文庫本。『洪園文集J一文政元年(1818)の後印本。初印本は寛政4年(1792)刊。個人蔵本。334
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