鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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通したことは大いに称賛すべきことであるだろう。また,ひとから強いられたためではなく,自分の意志でそのように生きた自由な女性であったことはいっそうたたえなければならない。異性との接触を断って生涯純潔のままでいたのは,ヴェスタの亙女であるとか,デイアナに誓いをたてているとか,その他の宗教的な役割のために,…こういうことによって多くの女性が抑えられ,縛られるのだが…,ではなかった。魂の完全性を目指したからである。すぐれた男性であってもときに肉欲に服従することがある。しかし,彼女はそれにうち勝ったのである。誉れ高い節操は,このマルテイアがたたえられるべきことではあるが,それだけではなく,彼女の才能と手の器用さもすばらしいものであった。彼女の技術が師匠から教わったものなのか,天性のものなのかはわからない。たしかなのは,女の仕事は軽蔑されていたので,彼女は怠惰にならぬよう絵と彫刻の勉強に没頭したことである。ついには,非常に洗練された技量で絵を描き,象牙像を彫り上げた。その腕は,当時の有名な画家ソポリスやデイオニシオスを超えるほどであったという。これは,彼女が描いた絵がほかのどの絵よりも高値で扱われていた事実が証明している。また著述家たちが言っているように,彼女が優美に描くだけではなく…才能面についてはよくある話である…,比肩ないほどの早く描く腕を持っていたというのは,さらに驚くべきことである。彼女の技術の証明はそのほかにも延々と述べられている。その中で目立つのは,マルティアが鏡を使って描いた自分自身の肖像画のことである。目鼻や色,顔つきが忠実に描かれているので,同じ時代の人々は一度その絵を見れば,彼女を見分けるのは簡単だ、った。彼女の習慣には,独特な特徴があったという。彼女は絵を描くときも,のみで彫るときも,いつも女性像をっくり,ほとんど男性像を作ることがなかったというのである。差らいがそうさせたのだろう。全裸もしくは半裸の古代人を表さねばならないとしたら,男性の体を完成させることはできないと考えた。もし完全に描くとしたら,それは乙女の差恥心に欠けたことになると思った。この二つの危険から逃れるためには,男性の姿を表現しないようにする方が都合ょいと考えたのである。J(注3)ボッカッチョのテクストは,フランス語写本だけではなく,ウルムにおいて1473年にラテン語版が,翌年ドイツ語訳が,1493年にはフランス語版本が刊行され広く普及することになった(注4)。さらには女性列伝の類書の出来を促すことにもなり,クリスティーヌ・ド・ピザンの『Lelivre de la cite des damesj (1404/05年)をはじめ,ヤーコポ・フィリッポ・フォレステイの『D巴clarissel巴ctibusmuli巴ribusj(1497年),ヨハン338

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