鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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ネス・ブーツバッハの『Deillustriibus seu studiosis doctisque mulieribus.1 (1505年頃)も書かれた。またブーツバッハは修道女に向けて『Lib巴Husde praeclaris picturae professori-bus.Iという画家列伝を書いており,この中でとりわけマルテイアについて詳述している(注5)。ソフォニスパの画業や銘文,彼女に関する言説には,随所にこのマルテイアとのアナロジーが看取される。例えばソフォニスパの銘文にはしばしば名前に伴ってVIRGOという名詞が記されている。恐らくこれは制作者が受容層の卑俗な関心を喚起するためというよりは,シュヴァイクハートが指摘したように古代の女性画家を想起させる文言として用いられたと考えるのが順当であろう(注6)。実際〈ミニアチュールの自画像〉(ボストン美術館)の銘文には,「処女ソフォニスパ・アングッソーラがクレモナでこれをその手で鏡から描いた」(SOPHONISBAANGUSSOLA VIR[GO] IPSIUS MANU EX [S]PECULO DEPICTAM CREMONAE)とあり,明らかにマルティアの事績を下敷きにしたものであることがうかがわれる(注7)。ラヴィーニア・フォンターナのく自画像〉(ローマ,アッカデミア・デイ・サン・ルーカ美術館)にも,同様にVIRGOの文言とともに,鏡を用いて(EXSPECVLO)描いた旨記されている(注8)。またソフォニスパの妹ルチアによるく自画像〉(ミラノ,カステル・スフォルツェスコ)にもVIRGOとあるし(注9),フェーデ・ガリツイアも肖像画中の銘文にVIRGOを用いている(注10)。ソフォニスパをはじめとする近世初期女性画家による作品の受容層は,専ら学識ある人々であった。ソフォニスパの場合,父親がレオボルト・モーツアルトよろしく諸所の貴顕や学識者に娘の自画像を送っていたようである。銘文中にVIRGOの文言を見た人々は,その言葉の由来に思いを馳せ,女性により鏡を用いて描かれた自画像がすでに古代に存在していたこと,その古代の女性画家がpe叩etuavirgoであったとされることなどを想起したものと思われる。女性画家の存在に関心を持ち,評価する契機が,プリニウスの『博物誌』を淵源とする古代の女性画家たちについての情報にあったことは想像に難くない。とりわけマルテイアは,近代初期の女性画家たちにとっていわば範例のような存在であったのであろう。実際15,16世紀の美術関連の著作には頻繁にマルテイアの名が登場する。例えばアルベルティは『絵画論Jにおいて「絵画の技術は女性においても名誉のしるしであった。ヴァロの娘マルテイアは著述家たちからその絵画を称賛されている」と述べてい339

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