鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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るし(注11),フイラレーテも古代において女性が絵画制作に携わった実例としてヴアロの娘マルテイアの名を挙げている(注12)。アルプス以北においてもクリストフ・シヨイルルがクラーナハ顕彰演説(1509年刊)において二度マルテイアに言及している。デューラーの自画像について論じる際に,マルテイアが鏡を用いて自画像を描いたことに触れ,クラーナハの制作の迅速さを称揚しながら,古代の類似例としてニコマコスとともにマルティアを引き合いに出しているのである(注13)。ところでマルティアをはじめとする古代の女性画家の名が普及したのには,ボッカツチョの『著名な女性たちについて』やそれに触発された女性列伝の類が寄与したことは間違いないが,最も大きな影響力を持っていたのは,プリニウスの『博物誌』である。第35書第147節以下においてプリニウスは簡潔にだが,古代の女性画家たちについてまとめてE命じている。ところカfプリニウスによるオーセンティックなテクストを見る限り,ここにマルテイアの名は認められないのである。「女性たちもまた絵を描いた。ミコンの娘ティマレーテはエフェソスで最も古い部類に属すデイアーナの絵を描いた。クラテイノスの娘にして弟子イレーネは一人の娘を(描いた)。カリユプソは一人の老人を,曲芸師のデイオドーロスを,踊り手アルキステネスを(描いた)。ネアルコスの娘で弟子のアリスタレーテは,アスクレピオスを(描いた)。キュツイコスのイアイアは,処女を通したが,マルクス・ヴァロがまだ若かった頃,ローマにおいて筆を用いたり,象牙の上に撃を用いて専ら女性の絵を,ナポリでは老女の絵を,また鏡を前にして自画像を描いた(IaiaCyzicena, pe叩etuavirgo, M. Varronis iuventa Roma巴etpenicillo pinxit et cestro in ebore imagines mulierum maxime et Neapoli anum in grandi tabula, suam quoque imaginem ad speculum. )。絵画において彼女ほど迅速な手を備えた者はおらず,また彼女の能力は大変優れていたので,当時最も高名な肖像画家で,あちこちのガレリアに作品が置かれていたソポリスやデイオニュシオスよりもはるかに高い幸a酬をf尋ていた。またオリュンピアスも主主をt菌いたが,彼女についてはアウトブーロスの弟子であるとしか記録がない。」ボッカッチョによる三人の女性画家の典拠は明らかにプリニウスのこの個所なのだが,マルテイアの名が見当たらず,その画業からみてキュツイコスのイアイアという画家がボツカッチョのマルテイアに相当すると考えられる。イアイアは終生virgoであり,鏡にむかつて自画像を描き,卓越した速筆の技術を備え,その作品が高値で扱われていたと,プリニウスは伝えているが,これらはボッカッチョ等によってマルテ340

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