注活版印刷によるマス・メディアの誕生が,情報の迅速にして広範な流布を可能ならしめた一方で,いかに一旦普及した誤った情報の修正が容易で、はなかったかを,この「マルテイア」という名前の歴史は物語っている。「イアイア」という本来の名前が見出されるまでに,「マルテイアjの名は,プリニウス写本における誤記だけではなく,そこから派生したボッカッチョをはじめとする女性列伝関連の書物などの影響によって,広範に知れ渡っており,パルパロの学術的な指摘に「マルテイアJの名前を払拭するだけの一般性はなかったようだ。いかに「マルティアjの名が定着していた,あるいはしているかは,今日の美術史文献を任意にひもとくだけでも容易に感得できょう。例えばフェミニスム美術史上の古典的著作ともされるロジカ・パーカー/グリゼルダ・ポロックによる『女・アート・イデオロギー』では,古代の女性画家として「ララ,アリスタルテ,テイマレテ,オリュンビア,ヘレン,カリュプソ,コラ,マルシア,エイレネ,タミュリスjが挙げられているが,明らかにボッカッチョにおける三人がプリニウスの挙げた女性画家たちの内の三人と重複してしまっている(注20)。「マルテイア」の名は,近年ルネサンス期の女性画家についての示唆に富む好著を相次いで公刊したジエイコブスやウッズ=マースデンにまで踏襲されてしまっていることを鑑みると(注21),元々は11世紀あたりの母音aの付加に端を発する誤記が後世いかに大きな影響をのこし得たことかと睦目せざるをえない。このように「マルテイアjという名だけをみてみても,『博物誌』テクストの異同を明確にすることの必要性がうかがわれる。それゆえルネサンス期のプリニウス受容をより正確に跡付ける土台を形成するためにも,今後の継続課題として,『博物誌』揺藍期版本の美術関連個所のテクストと現行テクストとの異同を,データファイル化する作業に取り組んでいこうと考えている。1994, p. 198 Cat. No. 7 p. lOOf. ( 1) Sofonisba A時uissolae le sue sorelle (=Cat. Cremona) , a cura di P. Buffa, Milan (2) H. U. As巴missen/G.Schweikhart, Malerei als Thema der Malerei, Berlin 1994, p. 57 (3) G.Boccaccio, De mulieribus claris, a cura di V.Zaccaria, Verona 1967, pp.264 百.; B.Bu巴ttner,Boccacio 's Des cleres et nobles femmes, Seattle/London 1996, -343-
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