⑫ ジョルジョーネ作〈ラウラ〉の新解釈一一裸体に羽織る男物の外套の意昧一一一研究者:女子美術短期大学非常勤講師高橋朋子絵を肖像画ということはできない。というのも,描かれた女性を特定できないからである。この作品は現在〈ラウラ〉という通称で(注2)ウィーン美術史美術館に所蔵されている(注3)。彼女は毅然としているが,その表情は決して潤いの無いものではなく,口元に嬬然とした笑みを湛えている。そして裸体に毛皮で縁取られた赤い厚手の外套を羽織り,一方の胸を露にしている。また露にされた胸には,髪を覆う白いベールの先端がまとわり付いている。半になるとパルマ・イル・ヴェッキオやテイツイアーノらによって美しい女性の半身像が数多く描かれるようになった〔図2〕。ジョルジョーネの〈ラウラ〉はそうした一連の美人画の晴矢となる作品であったということで研究者の見解は一致している。しかしジョルジョーネが描いた〈ラウラ〉は,パルマやテイツイアーノが描いた女性達と以下の点で明らかに異なっているように思える。第一に,パルマやテイツイアーノが描いた女性達の視線は不特定多数に向けられているのに対して,〈ラウラ〉は鋭い視線で前方を見つめている。次にパルマやテイツイアーノの女性達は,身に纏った衣装を片肌あるいは諸肌脱いでいるのに対して,ジョルジョーネの〈ラウラ〉は基本的に裸体である。つまり〈ラウラ〉は毛皮の外套を裸体に掛けているのであって,着衣を脱ごうとしているのではない。研究者の多くは,こうした絵の美人モデル達は,当時ヴェネツイアで人気を博していたコルティジャーナとよばれる娼婦達であったと考えており,従って〈ラウラ〉もまたコルテイジャーナの枠組みで解釈する傾向が最近では優勢で、ある(注4)。しかしかつてノエやフェルヘーエンによってこの作品は,結婚と結び付けて論じられていた(注5)。稿者もこの作品を結婚と関連付ける点ではノエやフェルヘーエンと同じ立場に立つが,この女性の背後に描かれた月桂樹を子孫繁栄の象徴と解釈する点で彼等とは異なる(注6)。また稿者は,この当時芸術家の間で盛んに議論されていた優劣比較論争(パラゴー1506年にジョルジョーネは一人の女性を描いた(注1)〔図l〕。しかし我々はこの16世紀初頭のヴェネツイアでは数多くの女性美人画が制作された。特に1510年代後346
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