鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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ネ)に注目し,ジョルジョーネはこの作品で,絵画の方が詩より女性を生き生きと表現できるということを示そうとしたと論じ,ジョルジョーネがヴ、ェネツィア派の中でもいち早く,当時盛んになりかけていた芸術論争に興味を示していた可能性も指摘した(注7)。これらの考察で鍵となったのは,この女性の生き生きとした表情と,彼女の背後で溢れるような生命力を発揮する月桂樹であった。一方月桂樹とともにこの作品を検討する上で重要なモチーフに,この女性が裸体に羽織る外套がある。本稿ではこの外套に焦点を絞り,稿者のこれまでの考察と,彼女が裸体に羽織る毛皮に縁取られた赤い外套が,知何に関連づけ得るかを検討する。この外套に関してこれまでに言及したのはジャンカーマンだけであった。彼女はこの外套を,ヴェネツイアの男性が外出の時に着用するものであると特定したうえで,この女性がこうした極めてマスキュリニティーの強いものを裸体に羽織っているのは,彼女が女性でありながら男性の領域に踏み出そうとすることを暗示しているのだと解釈した。すなわちジャンカーマンによれば,この女性は,当時はまだ男性の領域であって,その分野に女性が足を踏み入れることは危険とされていた詩人になる決意を表明している,ということになる。またこの絵の女性が一方の胸をはだけているのは,彼女が詩人であることで受ける誘りを暗示しているという。というのもこの当時,知的活動は男性のもので,女が詩人のように言葉を用いて何かを表現しようとすることは,自分の裸体を見せることと同じ行為だと考えられていたからだとジャンカーマンは論じている(注8)。ジャンカーマンは,この女性の背後に描かれた月桂樹をこの女性の職業を暗示する,すなわち詩人の象徴と考えた。この当時女流詩人といえばコルティジャーナであった。従ってジャンカーマンはこの女性をコルテイジャーナであるとし,その結果外套に先のような解釈を下したのである。しかしジョルジョーネが〈ラウラ〉を描いた1506年当時,ヴェネツイアではコルテイジャーナと呼ばれ詩をうたうような,いわゆる高級娼婦はまだ登場していないと考えたほうが妥当である。そうした女性達が活躍するにはあと少なくとも10年,つまりテイツィアーノやパルマ・イル・ヴェッキオが描く女性達の時代まで待つ必要がある(注9)。一方月桂樹を「子孫繁栄jの象徴ととらえ,この作品を結婚の祈念画とすると,外-347-

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