目)。うに,思える。実際,貴族の女性が家庭内に占める位置はかなり高かったらしい。貴族の結婚持参金の推移を調べたホイナッキは,1400年代に入って持参金が高騰し,それが父親にとってかなりの負担となっていたこと,またその結果,正式に結婚できる娘が極めて少なくなって,花嫁となれる娘は特権的な存在であったと指摘している。又その一方で結婚後,妻の持参金は法律で守られ,夫は妻の持参金を勝手に使うことができなかったという(注12)。加えて妻はかなり自由に自身の遺産相続人を選べる立場にあった。もともとヴェネツィアの貴族は強い家父長制をとっており,家長である夫の遺産は嫡男に相続されることがあらかじめ決定されているため,夫は自身の自由意志で相続人を選択できなかった。故に相続人を自分の意志で選ぶことのできる妻の,家庭内での立場は相当に強く,子供の結婚に関しても干渉するまでになったとホイナッキは言う(注13)。すなわちヴェネツイアの貴族の女性は,妻として母として,経済的にも法律的にも社会的にも,相当に強い立場にあった。故に彼女らは貴族の血統を守り,貴族聞の繋がりを強化し安定させるのに重要な役割を担っていた。そうした彼女たちにとって結婚は,自身の存在を社会的に認めさせる最高の機会であったと推測しうる。では彼女が羽織る男物の外套は一体この女性とどう関わっているのであろうか。ヴェネツィア貴族の女性は,限られた場合を除いて公的な場に出ることはなく,外出もほとんどしなかったらしい。故に彼女たちを表わす典型的な衣装といえるものはない(注14)。ステラ・ニュートンは,1495年から1525年間のヴ、エネツイアの衣装に関する研究において,女性に関しては,衣装で身分を区別するのは不可能だとしている(注それに対して男性の場合,衣装の意味は身分や地位と不可分のものであった。例えば袖の形にしても社会的地位と無関係ではなかった。manegedugalと呼ばれる袖口が広く聞いた形は,毛皮で裏打ちされているのが通例で,その呼び名からも推測できるようにドージェと深く結びついていた(注16)。ジョルジョーネが描いた外套の袖の形ははっきりしないが,毛皮で裏打ちされていることは明瞭である。次にこの外套の赤に注目してみる。ニュートンによれば,ヴェネツイアではクレメッシーノ(cremesino)と呼ばれるケルメス染料で染められた深紅色が強く権力と結びついていたらしい。例えばサヌードの日記には,1524年にカベッロという人物がProcu--349-
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