鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
361/763

rator (執政官)に再選されコレッジォに登場した時,クレメッシーノを着用していたという記録がある。テイントレットが後にProcuratorとしてのカベッロの肖像を描いている。カベッロはやはり深紅色の外套をまとっている〔図3〕。ドージェはProcuratorの中から選ばれるということを勘案するなら,この記述は興味深い。ドージェはヴエネツイアの最高権力者であったため,衣装に関しては多くの制限が設けてあったらしく,喪中でない限りドージェはクレメッシーノを着用するよう半ば義務づけられていたらしい(注17)。赤はクレメッシーノ以外にスカーレット(scarlatto)とパヴォナッツォ(pavonazzo)と呼ばれる種類があった。これらは微妙にその意味合いを異にするが,ヴェネツイアではどれも政府の要職にある人にのみ着用が許された色であったらしい。ニュートンは多くの事例をヲ|いて,ヴェネツイアの男性にとって赤がいかに政治的な色であったかを示した。ジョルジョーネが描いた女性が羽織る外套は深紅で,間違いなく男ものの外套である。もしこの外套がクレメッシーノでその光沢から判断してベルベットであったなら,ヴェネツイアにおいて権威を示すのにこの外套に勝る衣装はなかったであろう。つまり,この外套は,ジャンカーマンがいうような単なる男性の外出用の外套というよりはるかに強い特権制を示すものであり,この外套が意味するマスキュリニティは,この絵の女性が背景としている権力構造を暗示しているのである(注18)。1516年頃にフエラーラの宮廷で,ドッソ・ドッシは,ジョルジョーネの〈ラウラ〉から強い影響を受けたと考え得る作品を制作する(注19)〔図4〕。ドッソ・ドッシの女性も裸体に外套を羽織って,一方の胸を露にしている。一見してわかるようにこの外套は〈ラウラ〉が羽織っているものとほぼ同じである。しかしここでは,サチュロスとおぼしき人物がもう一人描かれており,〈ラウラ〉に比べてはるかに強い物語性を感じ取ることができる。この作品は〈ニンフとサチュロス〉と題され,アリオストの『狂乱のオルランド』との関連が指摘されている(注20)が,主題に関して決定的な論考はなされていない。もしこの場面が,言われているようにアンジェリカが狂乱のオルランドから身を守ろうとして,魔法の指輪に触れているところであったとするなら,アンジェリカは何故裸体に,いかにも同時代的で,現実的なこの外套を羽織っているのかわからない。〈ラウラ〉との関連性を考慮に入れながら再考察すべき問題であろう350

元のページ  ../index.html#361

このブックを見る