354~ (14) ヴェネツイアの貴族の女性の中でカテリーナ・コルナロただ一人だけ,例外的に(16) Ibid. p. 21. (18) ゴッフェンは,赤はヴェネツイアでは結婚の色であったとし,外套を夫とみなし(19) この作品は,現在フイレンツェのピッテイ美術館に所蔵される〈ニンフとサチュGカIbid.p. 26. ~O) この作品をアリオストの『狂乱のオルランドJIXXIX' SS. 59 61と関連付けたのはGender, and Patrician Culture in Renaissance Venice Refiguring Woman, ed. M. Migiel J. Schiesari, 1991, New York, 133-154. 典型的な衣装で公的な場面に登場する。しかし彼女はキプロスの女王であったし,また彼女が共和国のためにあげた功績は甚大で,故に彼女の肖像画は公的な国家肖像画ともいうべき性質のものである。したがってこの当時のヴェネツイア女性を描いたものとしてはかなり特殊なもののように思われるので,本稿では取り上げない。(15) S.M.Newton, TheDressoftheVenetians, 1495-1525, U.K., 1988 ている。というのも一般的に,祝婚用に描かれた女性の肖像画では,その女性が身に付けているものはすべて,夫からの贈り物であり,夫の富の象徴と考えられていたからである。R.Goffen, Titian’s Women, London, 1997, 75-77.尚女性が身に付けているものが夫からの贈り物であるということに関する研究はC.K.Zub巴r,Women, Family, and Ritual in Renaissance Italy, Chicago, 1985, 213-246. ロス〉と題される作品で,かつてジョルジョーネ作と考えられていた。パラリンはこの作品を,ティツイアーノがフエラーラに滞在していた1516年頃制作されたとしている。A.Ballarin, Dasso Dossi La Pittura a Ferrara negli Anni del Ducato di Alfonso I, Padova, 1994, 33-35. GardnerであったらしいoAA. VV. , M. Simari, Capolavori e restauri, catalogo della mostra, Firenze, 1986, 302-304 仰この作品は文学と関連付けるよりむしろ,フエラーラの宮廷で盛んであった幕開劇からの影響を考慮したほうがわかりやすいように思われる。このことに関しては,引き続き調査し,別の機会に論じる予定である。~2) Ballarin, Zoe. cit.
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